『自分の心を守りましょう』 伊勢白山道
『自分の心を守りましょう』 伊勢白山道

『自分の心を守りましょう』 伊勢白山道

 

達観しすぎているけれど一体何者なのかわかりません伊勢白山道さんのご本です。今回もすごいです。並木良和さんのお話にも通じますが、あまりにも外に問題探しをするから自分が苦しむ

『問題が起きた時には、まず、自分自身に問題の原因を探してみましょう。人は不思議なことに、原因を自分に見ずに、必ずよそに「発見しよう」とします。まさか犯人が、自分だとは思えない・思いたくないのです。』(p43より引用)

人間はどうしても「あの人が」「この人が」「このせいで」と、外に犯人・原因探しをしてしまいがちです。それらは自分のフィルムを写しだしているにすぎない、しょせん外のことなのですが、自分を見る…というのは、なかなか認めたくないものです。

『人は、コノ世に一人裸で生まれ出て、最後も必ず一人で帰って行きます。見つめるべき対象が自分自身であれば間違いはありません。他人を見つめてばかりいれば、悩むようにコノ世はできています。』(P81より引用)

自分のことを見ないで、他人さんを見て悩む…これはとてもおかしな話です。人間どうしても外のことで問題探しをして悩み苦しみます。

『要は、人とは自分の思考による漏電に負けてしまうのです。一番の敵は他人ではなく、自分自身による‟嫌なことを想像する”という漏電なのです。』(P133より引用)

エネルギーを自分に遣ってあげていない。他人にダダ漏れ。この場合の対策はあります。感謝を出していく。悩む時間を自分に与えない。

『これには、「生かして頂いて  ありがとうございます」と繰り返し思うこと(感謝想起)が最善です。』(P134より引用)

他人への感謝もですし、伊勢さんは先祖への感謝を普段の中ですることが大事と仰っています。ぜひとも、漏電ではなく、感謝を蓄電しましょう。

「人が死後に思う10のこと」という章があります。一部の抜粋です。

『生まれ出るだけでも、生きているだけでも、ものすごいプレゼントだった。

コノ世に生まれさえすれば、あとは何にでも感謝して楽しめばよかったんだ。』(P159より引用)

『私は、もっと自分のことを考えてあげるべきだったんだ。』(P159より引用)

『生きている時に、あんなに心配しなければよかった。

必ず死ぬのに、何を守ろうと自分はしていたのか。

どんな懸念があっても、「なるようになれ」で本当によかったんだ。

~(中略)~

心配せずにもっとゆっくり楽しめばよかった。』(P184より引用)

どうでしょう、これらほんの一部なのですが、わ――――!!っと後悔しそうですよね。死んだ後でなくても、余命宣告された場合も、「自分はなんて瑣末なことにこだわり抜いていたんだろう」生まれた奇跡の上では

「どれもたいした問題ではなかった」

と、本当にわかると思います。「あの人が」「このことが」など、本当に瑣末でどうでもいい話だったと。

■あめ的回答■

ぜひとも、自分を助けてあげましょう。因みに伊勢さんは、先祖に出した気持ちは、のちに自分自身を救うことにもなると仰っています。(だからといって宗教をやらなくていいですからね)とはいえ、

『自分の欲のための先祖供養ならば、先祖に通じずに、自我(自分のためだけの欲望・願望)への供養・祈りとなり、必ず途中でアホらしくなり供養をやめます。』(P232より引用)

ともなるそうですが、これはこれで自分に必要な体験です。今は自我であっても、また気持ちも変わって戻ってきたらいいんです。

気分を苦しめていたのは他人さんではなく、「犯人は自分」。他人さんに代ってもらうことはできません。他人に「代ってちょうだい」とお願いする方が大変。「自分」なのだから解決はできます。

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