『家で死のう!』 萬田緑平
『家で死のう!』 萬田緑平

『家で死のう!』 萬田緑平

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家で死のう! [ 萬田 緑平 ]
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ベストセラーになっています『棺桶まで歩こう』の萬田緑平先生が2022年に書かれたご本です。

人は必ず死ぬということが受け入れられない、わからない、という方は多いのかもしれません。どんな治療を受けても、人は生まれた以上致死率100%です。「私だけは死をまぬかれて江戸時代から300年生きているんだ」なんて人もいません。(※江戸時代から抹消されていない戸籍が残っていて、いわゆる「行方不明老人ブーム」なるものもありましたが)

例えば、自分が、病院ではなく、自宅で家族に看取られながら「ありがとう」とお互いに感謝しながら亡くなりたいとしたら?まっとうに働いて、配偶者や子どもたちを大切にするという生き方をしていないと成立しません。だから死に方(ゴール)を先に決めてしまえば生き方も変わります。運動不足で、不摂生で、コンビニ食や加工食品やタバコが止められないのに「糖尿病はイヤです」「心筋梗塞はイヤです」「ガンはイヤです」…とかムチャなオーダーは非常識です。病気は道理でなるものです。天罰ではありません。

『「生き方」には「死に方」が含まれています。生きる延長線上のゴールに死があるのですから、生と死は同じものなのです。』(p156より引用)

萬田先生は緩和ケア医です。末期がんの患者さんが自宅で最期を迎えるにあたって、治すのではなく痛みをとることがメインだそうです。なので「病気と闘ってがんばって治すぞ!」という患者さんはいらっしゃいません。高齢者への医療だと、高齢の患者さんよりも、とにかくご家族の意向が最優先事項です。患者さんがどれだけ嫌がってもご家族様が第一です。

『歳をとると、多かれ少なかれ、新しいことにチャレンジするのが億劫になるもので、それも脳の老化といえます。若い人には高齢者の「家にいたい」「病院に行きたくない」という気持ちは理解しづらいかもしれませんが、脳が老化してくると、新しい環境というのは想像以上にストレスなのです。そのことを知らないまま、高齢の親を無理やり引っ越させたり、施設に入れたり入院させるのは本人にとって虐待かもしれません。』(p60より引用)

とはいえ、とてもご家族では手に負えないレベル(重症)というのはあります。介護疲れの殺人で、ご家族が逮捕されるのは不幸すぎます。私たちでは無理だ…と感じたら施設に託してください。共倒れはさけましょう。私は元ヤングケアラーでした。10代の子どもに介護がわかるわけもない(当時ネットすらない)のに、私の介護が不十分だと、とばっちりで親族に殺されそうにもなりました。今では「殺さないでくれてありがとう」と言えますが、くれぐれも皆様は、ネットで支援施設などを調べたりして、より良い環境を手に入れてください。

モグラ叩きじゃないんだから、重箱の隅を楊枝でほじくるように検査したら、高齢になれば誰でも何かは出てきますよ。

『患者さんの世代や、望む生き方、考え方によって、「早期発見・早期治療」が必要か否かは人それぞれです。若い世代でも、早期発見によって病気が見つかり、不安に怯えながら生きたり、治療に時間を取られることでQOL(生活の質)が下がる可能性だってあります。本人の人生なのだから、医療が脅かすように「早期発見・早期治療」を強制するのはおかしいと思います。』(p127より引用)

細かくアラ探しをしたら、中高年だれだって何かは在るものでしょう。例え1か所、基準とは違うからといって、それが例え命には今すぐ関係しなくても、ビビる人はビビるし、それが気になって仕事にも集中できないとか、友達と会っても楽しくないとか、そこでQOLが下がるなら…、私ならわざわざ知りたくないんです。知らないまま死にたいです。(しかし、通りいっぺんの会社の健康診断は、免除なしで受けないといけません)

『いくら早期に病気を発見しても、すべての臓器は老化していきます。早期発見によって老化が防げた、死なずに済んだ、なんてことはありません。
とくに「早期発見・早期治療」は高齢者になればなるほどナンセンスなことです。
100歳の患者さんに胃の内視鏡検査をして、早期の胃がんが見つかったとしましょう。手術しますか?』(p126より引用)

私の祖父は80代で肺がんが見つかりましたが、そりゃ手術していませんよ。そこで「手術をしてなんとしてでも生きてもらうんだ!」なんて言ったら、仏教的に言うと盲目ですよ。ものが見えていないのです。ムリなものはムリだと現実を受け入れるしかない場合も多いです。…が、やはり、なにをしようとも最終的には死ぬのです。

『棺桶まであるこう』の軸です。ぜひこれを心に留めておいてください。

『歩けなくなったら死んじゃいますよ。でも、頑張って歩いていれば、死ぬまで歩けます。歩いていられる限り、死なないですよ。歩いていれば生きていけます。だから、死の前日まで歩きましょう。棺桶には歩いて入りましょう』(p208より引用)

「死ぬまで歩く」という目標。「歩く」ことが大事だとは、皆さんちゃんとわかっているんです。タダで、誰でも、毎日できることです。「歩く」をナメていたらもったいないですよ。

歩くことを軸に持っていて、間違いはないです。人は歩くのがデフォルトです。

■■■あめ的回答■■■

これを考えたことはありますか?

『ところで、日本人はなぜそんなにも長生きしたいのでしょう?
なぜ長生きしたいのか、それを考えている人は驚くほど少ないものです。
やりたいことをするためでしょうか?
やりたいことがあるなら、なぜ今までしてこなかったのでしょうか?
長生きを「目標」にしている人のほとんどは、長生きする「目的」まで考えていないことがほとんどです。そして、運良く目標を達成できた先は、認知症です。自分が誰かもわからなくなってしまいます。それが‟最高の長生き”の行き着く果てです。』(p224より引用)

結局、何がしたい人生だったのだろう…?そう悔いる前に、今すぐ、やりたいことをやっていきましょう。

私自身が50代になって、そりゃ、あと(健康に)20~30年生きられたら御の字、なんなら、明日、死んでいる可能性だってあると思っています。先延ばしにしているほど、残りの人生残っていませんよ。

萬田先生の仰るに、「元気なお年寄りが町にいっぱいいるだろ!」と言ってくる人もいるそうです。

そりゃそうです。元気なお年寄りしか道を歩いていません。

私も、ビル清掃員として、現場で本当に何人も80代でもブルーワーカーをしている元気なご老人の仕事ぶりを見てきました。…が、老人ホームでもお勤めをすると、厚生年金だけでのお支払いはまず不可能な高額の施設でも、需要がものすごく、入居が待ちになっているほど、ご家族ではとても手に負えない重症な老人がたくさんいらっしゃることを知るのです。世の中、おもてには出られない寝たきりの方も何万人もいらっしゃるでしょう。そちら側のほうが多いのです。

生き方と死に方はセットです。「こんなはずじゃなかった」と恨んでも誰も責任をとってくれません。やりたいことを先延ばしにしないで。

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