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心療内科医鈴木裕介先生のご本です。表紙の帯に「自分を後回しにしてまで周りの期待に応えなくていい」と書かれています。『対人関係』……それは猛毒にも良薬にもなり得る、永遠のテーマかもしれません。
■日本の中だけでいうと、戦争は起こっていないし、1日におむすび1個にもありつけないほどの飢餓状態にもない、基本的には屋根のある屋内で毎日寝られるし、衣食住も基本的ニーズは満たされている……のに、いろんな人が毎日の生活に文句タラタラなのはなぜなんだろう?
■優秀で、周りにも褒めてもらえるような自分にならなきゃいけないと思う。自分で自分を褒めたり、認めたりすることができないから、人からされたい。
■自分は正しいと思い込んでいる友人が、やたらに自分の意見を強要してきて、ホントしんどい……。
……などなど、日常において「しんどいこと」なぜ度を越してしんどく感じるんだろう?という方へ一助となるご本です。
■1つ目についてですが、あめちゃんも不思議に思っていたんです。昭和のおっかさんは、貧乏やりながら子供を4人も5人も育てていたけど、それが特別かわいそうとも思わなかったんですが、今では、会社員夫婦の家庭で子ども1人でもアップアップしていますよね。
『イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、「人々の努力によって社会がより良く、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる」と主張しました。
社会が豊かになるということは、人が人生を賭して埋めるべき大きな「穴」がなくなることでもあります。』(P6より引用)
さらによりよくすることに自分の人生をささげようという『大義』がみつかりにくくなるそうです。とりあえず『生きる』というニーズは満たされる。お米を手に入れるにはどうしたらいいんだと悩むこともない。鈴木先生は、そこで必要となるのは「自分の物語化」だと仰っています(詳しくはご本をお読みくださいね)。
■2つ目。鈴木先生が仰るに↓こちらのようなパターンがあるのですが…
『そして、自分で自分のことを「OK」と思うことができない分、「優秀である」「成績がよい」といった評価を得て、他人から「OK」と言ってもらうことで、「自分に価値がある」ことを証明しようとするため、勉強や仕事にものすごくのめり込みやすいのです。
それこそ、狂乱的なまでの努力をします。』(P169より引用)
自分への条件づけが、ものすごい人の例ですね。資格マニアの方も一部入るかもしれませんね。努力マニアはまだいいと思うのですが、あめちゃんが昔、お勤めした先の雇い主さんが、家はゴミ屋敷で(本人は「モノ屋敷だ」と、マイルドな表現をしていらっしゃいましたが)本人も生活がだらしがなく(BMIも30超え)仕事も納期はまず守らない、最早ネタですか?というレベルだったんです。けなしたわけでもないのに、「さぁ!私を褒めろ!」「褒めろって言ってるよね!」と承認欲求全開で、強要してくるもんで、ドン引きして言葉を失ったもんですが、「自分はありのままでいいんだ」ということさえわかっていれば、他人を利用して承認欲求を満たそう、エネルギー泥棒してやろう、とする必要はなくなります。
■3つ目。こちらへの要求がやたら強いような方へは「防衛コスト」というエネルギーがダダ漏れになります。エネルギー泥棒です。高津りえさんのご本にもありました『気枯らし』の一種です。
『あなたを大切にしない人を、あなたが大切にする必要はありません。
たとえ親や友人、同僚であっても、相手を躊躇なく、あなたの心の中の「NO」の棚に入れ、距離を置くことを強くおすすめします。』(p64より引用)
■あめ的回答■
「夢を叶えるゾウ」のガネーシャ様が、「反応しない」ということを言っていたなぁと思い出しました。とかく、対人には「反応、反応、反応の連続でクタクタ…」日本では戦争もない、屋根のある部屋で寝られる、お米を食べれる…。とかく対人関係で悩む、度を越したら相手を殺してしまうレベルまで悩む…。■1つ目の、自分の人生をささげたいほどの「大義」が見つかりにくい…ここに本質があるのではないかと思ってしまうあめちゃんです。現代は、みんな自分のことで忙しいといいながらも、他人のいらんこと(他人の問題を上げ連ねるとか)に構いすぎなんですよね(あめちゃんも、上記であげましたわね(笑))。夢中になれる「大義」を見つけるというか、「大義」に出会ったら、少なくとも(他人は置いといて)自分の問題解決は早いのかもしれません。
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