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●緩和ケア萬田診療所院長 萬田緑平先生のご本です。大前提となります、人間は歩けるうちは死なない、ということ。
『寿命は自分で測って。寿命ってどれくらい歩けるか、どれくらい立っていられるかなんだから、測れるんだよ。ちょこちょこ歩きならそろそろだね』(p32より引用)
元出不精のあめちゃんは毎日3万歩がデフォルトです。仕方ないのですが、ちょっと異常かな、大丈夫かなと思いつつ、ミニマリストしぶさんが「江戸時代の人たちは毎日3万歩だった」というお話をされていたのを思い出して、人の体としては自然なことではあるのか…と納得してみたり。ともかく毎日歩くことを萬田先生は提唱して下さっています。人はそもそも歩くようにできています。
●あめちゃんも毎日ストレッチもしています。なんと萬田先生は1日1時間ぐらいされているそうです。ただ「ストレッチっていいって言うよね~」という話ではなく、しっかり伸ばさないと、バキバキに体が硬くなって痛くなりますよね?
『肩が痛いからと、上げないでいると、その痛みが引いた頃にはもう上がらなくなってしまいます。
痛くても我慢して、ぎりぎりまで上げる、曲げるなどを続けていけば、そのうち痛みも引いてきます。』(p76より引用)
痛いぐらいが気持ちいいですし、可動域が広まって良しですね。基本でもバカにしちゃいけません。あめちゃんは49歳ですので、やはり肩の可動域も怠らずです。
●萬田先生は外科医もされていましたが、現在は緩和ケアとして看取りもされています。なんだか、歩けもしない老人にとっては入院もつらい(歩いて転んでケガをされたらナースの責任になるので、おむつにして歩かないようにさせることもあるそうです)、家に帰っても、家族が必ずしも協力的とは限らないし、家族の望む治療法を強要してきたりめんどうなようです。とにかく、日本には長生き信仰があります。本当は自然に亡くなるタイミングでも投薬などで生かされ続けます。
『脳梗塞、脳出血、心筋梗塞などにならず、がんにもならず、「ピンピン」が続いたらどうなるか。ゆくゆくは「認知症」が待っています。つまり、「認知症」という病は、健康でいたい、元気でいたいという望みがかなった、最終走者「勝ち組」の姿とも言えます。』(p152より引用)
●長生きすることが1番のリスクだとは言いますよね。自分でも、なまじ100歳まで生きてしまったら困るぞ…なんて思ってしまいます。
『たとえ生きていたとしても、認知症になったら自分のやりたいこともできない。身体も動かない。
「80歳超えて元気な人もいっぱいいますよ」と言う人は多いです。もちろんそういう方もいますが、少数派です。多くの「元気じゃない」高齢者は施設か病院にいるから目に入らないだけ。』(p97より引用)
あめちゃんの周りでは80代でもフルタイムで肉体労働者をしていらっしゃる方たちがいます。自分もこのような人たちのようにありたいと思います。実はふと、40年前(1985年)に亡くなったひい爺さんを思い出し、地方の山奥の元老人ホームの施設があった場所に、ちょっと前に行ってみました。40年前のデータが残っていて、88歳で亡くなっていました。当時の印象で、80代とはひい爺さんのような感じなんだ、と思っていました。精神科医和田秀樹先生が、60歳を過ぎると健康格差がしっかり現れると仰っていました。だからこそ、まず毎日歩くという基本はバカにしないでやっていきましょう。
■■■あめ的回答■■■
富家孝先生が、「人生100年時代とは、死ぬ手前まで働かないといけないことだ」と仰っていました。どんな投薬や注射をしてでも延命信仰、それは一体誰のためなのだろうか…。家族が納得するためでしょうか?家族がモンスター化したら、高齢者が嫌がっても拒否権はないですね。高齢者から逆説得なんて至難の技です。高齢者や病気の方の希望を優先してあげたらいいと個人的には感じます。あめちゃんは長生き崇拝者ではないので。100歳で亡くなれば尊く素晴らしくて、1歳で亡くなった子は尊くないとかあるの?高齢者もモンスター化した家族の言いつけを守らないと怒られるような憂き目に遭うだけ地獄ですよね。残りの人生を「幸せだ。ありがとう」と想って終われるように、萬田先生のように、患者さんの希望に沿ってあげようという動きが世の中に広がってほしいです。
