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スマナサーラさんのご本の紹介2冊目です。読んでいて「不安があろうと、これでいいんだ」と勇気をいただけた一冊です。
『不安なのは、そもそも安定を求めているからです。
「安定はない」と腹をきめることです。
安定した社会、安定した商売、安定した家族。そんなものはないんです。時計がいつもちゃんと動いていたとしても、ずっとそのまま安定して動くわけはないのです。いつか止まることもあります。すべては瞬間瞬間、変わるのです。』(P72より引用)
「前はこうだった」「前はああしていればよかった」「前はこれで通じた」もう前とは違います。去年とだって違います。すべては安定しないという大前提を受け入れてください。ダーウィンの進化論でもそうですね。強い者が生き残るのではなく、変化に順応できる者が生き残るのです。ここを見誤ると、苦しみの無限ループです。大事なお話ですので、この本質的な所を冒頭に書かせていただきました。なまじ、昔の成功体験に縛られて、自分を苦しめている方は、けっこういらっしゃるかもしれません。
●こちらも心が軽くなるお話です。
『片づけの仕方ひとつとっても、自我を入れないとうまくいくのです。』(p94より引用)
物の立場になってみること、小林正観さんのご本でもありました。コップを机に置くときにそっと置いてあげる。コップは「この人は優しく置いてくれた」とコップから感謝されます。物の気持ちになってみること。
『そうすると、不思議なことに、じつにスムースにきれいに片づくのです。』(p95より引用)
これは本当すごくわかります。例えば、家の中物がぐちゃぐちゃで凸凹の地形になっていても当然物たちの立場は嫌でしょう。そんな嫌な状態に身を置いている自分も嫌です。「自分が好きで物を積んでいる」『自分が』というのを入れずに物の立場になると、そんなひどい状態にはできません。物の立場になると確かに、そうおかしなことにはなりませんよ。
ふと、ローランドさんが「お洋服を休ませてあげたい」と言ってトルソーに大切なお洋服をかけているYouTubeを思い出しました。もし、「服なんてどうでもいい」とソファに積み上げてミルフィーユ状態にしているとしたら…そんなどうでもいいような服たちを置いている空間…どうでしょうか?
●禅がベースのご本ですので、大事なのは今にフォーカスです。
『皿を洗っている瞬間はしっかりと皿を洗っている。歩いているときはしっかりを歩いている。お茶を飲む時はしっかりとお茶を飲んでいる。それだけ。
そうすると次に何が起きても、次のことはそんなにハチャメチャにはならないんです。』(P156より引用)
皿洗いでも、お掃除でも、意識はいくらでもあちこちに飛ばせてしまいます。いくらでも考えごと(しかもロクでもないこと)は、できてしまいます。かなりしんどいです。だから、そんな時は皿を洗っている感覚に集中する、お掃除でも歩いている時でも、そこに集中。(※集中するぞ!とがんばることではありませんよ)ただでさえストレス社会と言われていますから、まず、ロクでもない思考から離れてみるだけでも、やってみると、どれだけ気が楽になるかが体験できますよ。
■■■あめ的回答■■■
あなたは相当頑張りすぎていませんか?この世は「がんばれば必ず欲しい結果が得られます」という法則で動いているわけではありません。罰ゲームではないのです。
『まず、この世で何一つ、自分のものにすることは不可能です。自分のものにする権利がないんです。それでもやろうとすると、違法になる。法則違反で、成り立たない。』(P164より引用)
なるようになるから大丈夫です。山川宗玄さんのご本でもありましたが、「食えないなら食わなくていい」のです。一つの出来事に対して、まるで百の出来事のように感じて大さわぎしている自分…というのはいますよね。そのままのサイズで見て大丈夫ですよ。「これはこうなるはずだった!」とか「こうなってくれないのはおかしい!」とか、そこで悩み苦しむなら、自分のサイズ感がおかしくなっていると気づくサインです。今にフォーカスしている分には間違いないのです。あめちゃんも超凡夫です。意識があっちこっち飛びまくって、苦しくなる時があります。こうやって「本」が師匠となって、整えてくれるので「本」と対話して軌道修正を一緒にやっていきましょう。
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