『人生を深めるおとな聖書 教養とはこういうものだ。』MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)
『人生を深めるおとな聖書 教養とはこういうものだ。』MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)

『人生を深めるおとな聖書 教養とはこういうものだ。』MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)

 

 

上馬キリスト教会のヒラ信徒のMAROさんのご本は2冊目のご紹介です。先月載せました『眠れぬ夜の聖書のことば』で、温かいご本だなぁと思い、MAROさんの他のご本も読みたくなりました。

世間的に思っている聖書の内容があまりにも勘違いが多いんだと知らなかったもので。聖書の本当の意味はむしろ「逆です」ということがあまりにも多いらしいです。「目には目を歯には歯を」という一文も「復讐をしてやれ!倍返しだ!」と、思っていたのですが、どうやら逆だそうです。「倍返ししちゃいけないよ」という意味だったなんて世間の人は知らないですよね。目からウロコ………というのも聖書の言葉だそうです。

キリスト教といえば「信じる者は救われる」ってやつでしょ?

クリスチャンってお肉食べないんだっけ?ウナギも食べちゃいけないんでしょ?

「目には目を歯には歯を」って、復讐だ!倍返しだ!…という意味ではないと初めて知った。

……などなど、世間で思われているフレーズへの意味は実は真逆だと、あめちゃんも初めて知りました。(ちなみにあめちゃんはクリスチャンではありません)

1つ目です。信じるだけでは救われず、告白して初めて救われるそうで、それも洗礼のプロセスに組み込まれているそうです。ただ、自分ひとりで我流で信じたのではだめらしいです。

『自分の信じたことや信じやすいことだけを信じても、自分は何も変わりません。(~中略~)信じがたいことを信じるからこそ、自分は変えられます。信じたいことや信じやすいことだけを信じるのは、自分自身を「自分の判断」という枠に追い込んで閉じ込めているようなものです。』(P96より引用)

枠を抜け出す……というのは、一歩上、一歩上へ上がることなのかしら……と。それって、ステキな成長ができるんだよということなのではないでしょうか

2つ目です。多くの宗教では食べものの規制があるそうで、キリスト教もそうだろうと思われているらしいのですが、キリスト教は食べものの規制は一切ないとのことです。それで、これがすごい!と思ったところなのですが、

『新約聖書の別の箇所では「口から入るものではなく、口から出るものがあなたを汚すのだ」とも教えられています。あれを食べちゃいけない、これを食べちゃいけないと気にするよりも、そんなことより自分の発する言葉に気をつけなさいということです。食べ物よりも自分の言葉の方がよっぽど自分を汚す危険のあるものだということです。』(P98より引用)

これは生きていく上でキモとなるお話ですよ。

自分の発する言葉に気をつける

人間だれしも、いらんことを言って敵を増やしたり、恨みかったり、……ほんと、だれしもが日常茶飯事で、やらかしてしまう。すでに聖書が教えてくれている話なのですね。

3つ目です。多くのひとが「倍返しだ!」と勘違いしているフレーズがこちら。

『「目をつぶされたとしても、相手の目をつぶすだけにとどめなさい。歯を折られたとしても、相手の歯を折るだけにとどめておきなさい」ということです。』(P150より引用)

片目をつぶされて両目をつぶしてやったとか、歯を折られて殺してやったとか、聖書の時代から過剰な復讐が横行していたのだそうです。だから、片目をやられたら片目だけにしましょうというのは、理にかなっている気がします。神様はそもそも「復讐はわたしの仕事だ」と仰っているというお話は、小林正観さんや、斎藤一人さんもされていたので、万国共通なのではないでしょうか。

■あめ的回答■

「キリスト教なんて興味がないよ」という方も、まずは言葉の意味を正しく知っておこうという感じで読むといいですヨ。無知でもの喋っているよりあらかじめ知っておいた方が、無用な恥はかかなくて済むんじゃないかなと。聖書の「豚に真珠」の本当の意味だって怖いですよ。知らずに話していたらみっともないですヨ(汗)あめちゃんも知らないこと、いーーーっぱいあるので、共に学んでいきましょ

↑MAROさんの例え話めっちゃ面白かったので、漫画に起こしてみました

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