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スリランカ上空仏教(テーラワーダ仏教)長老アルボムッレ・スマナサーラさんのご本です。アルボムッレさんは「自分の総監督になりましょう」と仰っていて、ゆわゆる「自分の人生に責任を持ちましょう」ということです。責任と言ってもガチガチに自分に厳しくという意味ではなくて、「自分が自分らしく楽しく豊かに生きる」ことへの責任といっていいと思います。
■怒り、憎しみ、恨み、嫉妬、落ち込みetc ……心のがんのように増幅する思いには対処法があるのでしょうか?
■「もったいないから食べる」というのは悪であると、アルボムッレさんは仰っています。なにが悪いということなのでしょうか?
■ウチの親ってロクなもんじゃなかったんです。ロクな親じゃなかったけど、子どもにとったら親って絶対的存在じゃないですか…。親に恨みすら感じます。
……などと思った方は、アルボムッレさんの一歩上を行く名回答をお教えします。
●なかなか面白い!と思ったアルボムッレさんの一文です。
『「こんなはずじゃない」
「どうして、もっとちゃんと動かないのかしら」
自分の体について「思い通りにいかない」と不満を抱いている人は、そもそも現実をわかっていないだけです。体のほうが真実で、思いのほうがおかしいのです。』(P76より引用)
ふっと、斎藤一人さんの「ものごとって、案外 道理でできているんだよ」という言葉を思い出しました。思いの方に体を合わせるのは無理です。道理どうりなんだなぁと改めて知りました。
■1つ目の心のがんのお話についてですが、例えば、嫉妬や恨みでAさんBさんを非難して、さらにはCさんに怒って、その怒りを他の人に話すとするじゃないですか。そしたら、
『本人は、その人たちを自分の味方につけているつもりかもしれないけれど、聞いているほうは、「この人に気をつけなければ」と離れていきます。』(p107より引用)
非難や悪口いってくる人に対して(この人から恨まれたらこわいわ~)とか(きっと私の悪口も他で言ってるんだろうな~)とか感じて、味方してあげるどころか警戒しますよね。我々、たかが凡夫です。言葉には気をつけましょう。
■2つ目、これはけっこう今の時代には適応できていない話となっているはずですが、なかなか根深い問題ですよ。
『日本人が「残さずに食べる」を美徳とするのは、そもそも残すほどのものは手に入らなかった貧しい時代の名残です。
豊かになった今は、残さずに食べていると太ってしまいます。それは、食べる必要のないものまで食べているからで、けっして美しい行いではありません。』(P158より引用)
『もったいないから食べるということは、その分、誰かに行くはずだった食べ物を奪っていることなのです。』(P159より引用)
前に斎藤一人さんが「今は、路上生活者でも太れるほど食べれている」というお話をされていました。日本は現在、食べものが捨てるほどあるのに、食べものへの執着が、貧困だった時代よりパワーアップしているのはどうしてなんでしょう……。やっぱり、貧しい時代の名残なのでしょうか。
■3つ目なのですが、ウチ(あめちゃん)の親は、子供を持つには若すぎた年齢でした(周りからは、お母さんが若くて羨ましがられる面もありました。因みに同じ長屋の幼馴染は、お母さんが、なんと15歳のときの子供で、そのお母さんには、10代なのに「おばちゃん」と呼んでいました)。もちろん、幼児にとっては親は絶対者で、親が未熟で、怒って子どもに手をあげようとも絶対者。それで、アルボムッレさんは自分自身が大人になってから、あの親はおかしかったとか、間違いがあったとか、気づいてくるもんだと仰っていて、
『だからといって、親を軽蔑するわけではありません。「人間は完璧ではないのだ」という正解に行き着くわけです。』(P186より引用)
ほんと、これ!ですよね。いまのあめちゃんは、若すぎて未熟な親(あめちゃんの親)が、子ども(あめちゃん)を育ててられたよなぁ……と、いまでは感謝で頭が下がります。
■あめ的回答■
アルボムッレさんはスリランカの方にしては、かなり現代の日本の社会に沿った問題提議をされています。タイトルでは、70歳から~と、ついてはいますが、(一見、高齢者向けなのかなと思ってしまったのですが)あめちゃんが今回ピックアップしました■全部、若い方こそ知っておいたほうが、お得だと思いました。