『70歳からの禅の教え 人生が変わる極上の暇つぶし』 石毛泰道
『70歳からの禅の教え 人生が変わる極上の暇つぶし』 石毛泰道

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70歳からの禅の教え 人生が変わる極上の暇つぶし [ 石毛 泰道 ]
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石川県徳雲寺住職・西東京市金剛寺住職の石毛泰道さんのご本です。サブタイトルで「暇つぶし」とあるので、時間泥棒的なネガティブな言葉かと思われるかもしれませんが真逆です。

「暇つぶし人生」=「いい時間を過ごす人生」ということで、決して「時間を粗末にする」という意味ではありません。

『現代人の宿命かもしれないこの時間へのとらわれから自由になり、「人生は死ぬまでの暇つぶし」と割り切って、まずは忙しすぎる多くの現代人の皆さんに、何もない時間、白いページに心を遊ばせて、自由気ままな時間のスタートを切っていただきたいと思います。』(P57より引用)

そもそもが「暇つぶし」がネガティブに扱われがちな言葉なので、けしからんと思われるかもしれませんが、そこをちょっとゆるめてみませんか。

『何であれ、楽しんでこその「暇つぶし人生」です。「おいしいもの」よりも「何でもおいしく食べる」ほうが暇つぶし人生を謳歌できるに違いありません。』(P88より引用)

あめちゃんもそのきらいがあるのですが、「あれやらなきゃ!これもやらなきゃ!自分は時間貧乏なのよ!」という人は多いでしょう。しかし、逆も思います。あれやこれやで、自分の人生消化してしまって、もったいない……とも。

『———「それは無料だが、値段がつけられないほど価値がある。自分のものにはできないが、使うことはできる。そして、いったん、失ってしまえば、二度と取り戻すことはできない」米国の有名なビジネスマンの言葉だそうだが、「それ」とは無論、時間である。———(2023年5月10日東京新聞「筆洗」』(P53より引用)

仏教で「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」という言葉があります。この世に遊びにきているというニュアンスです。石毛さんの仰る「暇つぶし人生」=「いい時間を過ごす人生」そうありたいですよね。

『そして楽しく生きるために必要なことは、ほっとできるような心のゆるみでしょう。』(P112より引用)

これは要となりますね。「あれやらなきゃ。これも、それも」という執着をいったん手放すのもいいですね。一人で抱えすぎている場合が往々にしてあります。「仕事たくさん増やしてお金を貯めて〇〇を買うぞ!」ではなくて、逆に「そんなものいらないから働きたくない。仕事増やしたくない」という方も増えているそうですが(笑)

どちらを選んでもいいと思います。禅的に言うと白黒つけない。ジャッジフリーですから。どちらでも、それぞれ幸せですよね。望んでその道を選択されたわけですから。

石毛さんの知人の「いくさん」という認知症の女性のお話が出てきます。ほぼ寝たきりでかなり認知症が進んでいても『水戸黄門』の再放送はいつも観に起き上がっていたそうです。

『いくさんは、『水戸黄門』でしたが、「惚れる」対象は人それぞれで、縫い物や編み物に夢中になる人もいます。お茶碗を丁寧に繰り返し洗ったり、念入りに掃除をしたりと、どのお年寄りも「惚れる」ものがあれば生き生きと活動するのです。』(P62より引用)

因みにあめちゃんは最近は、洗い物+シンク磨きが、心も浄化されていくようで、すばらしい…としみじみと感じます。

■あめ的回答■

『むしろ「時間を楽しむ」と捉えたらどうでしょう。ゆったりだけが幸せではなく、忙しくても、ゆったりでも、どんな時間であれその過ぎ行く時間を「楽しむ」つもりになれば、人生はいい暇つぶしになると思うのです。』(P64より引用)

あるがままに受け入れる…なんて言ったら、「そんなえらい人格者みたいなこと自分にはムリだよ」と思われるかもしれません。こちらのご本、タイトルに「禅」と付いていますが、そんなに禅の引用があるわけではありません。禅をベースにとらえたら、「どっちでもいいよ、なんでもいいよ」ぐらいのスタンス。まさに白黒つけない「中道」の生き方。石毛さんの仰る「暇つぶし人生」=「いい時間を過ごす人生」に通ずると思います。

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