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正眼寺住職 正眼僧堂師家・正眼短期大学学長 山川宗玄(そうげん)さんのご本です。
●久々に周利槃特(しゅりはんどく)さんのお話が出てきました♪掃除で悟りを開いた人です。初めて知ったエピソードですが、ブッダは「掃除をすることは、我が心を清めることだ」と唱えながら掃除をしなさいと周利槃特に命じたのですが、周利槃特はこの一文すら覚えられず、唱えるのが「塵を払え」の二字になったそうです。「塵を払え」と唱えながらひたすら掃除をしていて「塵って、何だろう?」と思ったら、もう塵など無いと気づいた瞬間、悟りの最中だったそうです。あめちゃんは、すばらしいなぁと嬉しくなりました。因みにあめちゃんは掃除の最中、ちょくちょく、斎藤一人さんのご真言「だんだんよくなる。未来は明るい」を唱えています。
●食べられなければ、食べなくてもいい(P180より引用)
↑大きく載せましたが、(真理は)実はそうなんじゃないか…と思っていました。托鉢で、なにもいただけなければ、食べられないけど、仕方がないで受け入れるということです。
『生産活動を一切やめて、「食べられなければ、食べなくてもいい」と腹をくくると、不思議と死なないものです。「生きたい」ではなく、「生かしていただくのだ」と決定(けつじょう)すると、生かされる。これが世の道理なのです。』(P179より引用)
昔、本山から寄付のお願いがあって、老師がお寺のお金のほとんどを寄付したそうです。お弟子さんが「そんなことをしたら食べていかれません!」と言ったら老師は、
『だったら、食わなきゃよろしい』(P181より引用)
と言いました。だからといって、その後お寺が潰れることもなく…
『いったいどうやって切り抜けたのかはわかりませんが、「食べられなければ、食べなくてもいい」と腹をくくったら、本当に何とかなってしまったという実例です。』(P181より引用)
食べることへの執着に驚かされたシーンも、生きてきて今までありましたが、あめちゃんは素直にひねくれていたのか、幼少期に母親が出したおやつに対して「こ…こんなに粗末でまずいものなら食べなくていい」と思ってしまいました💦(蛇足ですが、あめちゃんのアメブロでなにげにご好評の「食費1日300円」記事です)
なければないでいいんです。アホみたいに大さわぎしなくて大丈夫です。
●「余計な考えを起こす前に、身体を動かす」。(p52より引用)
悩む間もないぐらいに動くことって救いです。ヒマや動かないというのは、病んで負のループに入りがちです。
『実際、一年ほど修行をした雲水は、誰の目から見ても、大きく成長したことがわかります。その理由は、なにか特別な勉強をしているからではありません。体を使って、毎日精一杯生きているだけです。それが、最も人を変えるのです。』(P56より引用)
スピなら「行動範囲を広げると運気も上がる」と言います。日常の作務もそうでしょう。金閣寺銀閣寺住職の有馬さんのご本で「掃除は信心よりも大事」ということを初めて知り、その言葉を励みにしているあめちゃんです。
■あめ的回答■
「来年こそは」ではなく「今ここ」です。未来の自分に借金を与えず「今の自分」にシフトしてみてください。(未来の自分にやらせようと考えるのは、あめ的には「未来への借金」と呼んでいます)
周利槃特のエピソードで、改めて、一人さんのご真言を唱えながらの掃除っていいなぁ♪と思いました。いらぬこと考えてしまうぐらいなら、ご真言唱えてうち消していけばいいと思います♪心軽く、生きやすくなることは幸せです。
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