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●東京大学定量生命科学研究所教授 小林武彦先生のご本です。
本書では、ヒトの生物学的な「幸せ」を「死からの距離が保てている状態」と幸せの定義がされています。食べ物があることだけではありません。ヒトは一人では生きていけません。太古の昔からコミュニティに属してみんなで生きてきました。仲間と協力し合って生きてきたのです。コミュニティを外される、村八分にされると危険です。食べ物やその他の必要なものや情報もシェアできなくなります。死からの距離が赤信号です。
現代の仕事場でもそうです。周囲の人たちと良好な関係で、仕事もきちんとこなしていれば、自分の席は守れます。
『集団の中で周りよりも評価が高いこと、うまくいっていることは、集団から追い出されないことであり「死からの距離」が遠くなる、つまり「幸せ」になる重要な手段だったのです。これはベターな状態をありがたがる優越感情と言ってもいいかもしれません。そして、この「比べるのが得意な性質」が、実は現在の「幸せ」になりにくさにつながっているのです。』(p67より引用)
『遺伝子的には、孤独や孤立を良しとはしないのです。』(p90より引用)
現代では大昔ではありえなかったような病気のオンパレードです。そして、隣の家の人のことも全く知りません。昭和の頃は日常だった「お隣さんからお醤油借りてきてちょうだい」と子どもにおつかいさせることもなくなりました。(子供の頃、近所のご家庭との貸し借りでパシるのはなにげに楽しかったです。)
『小中高校までは「みんなのために自分は何ができるか」とか「みんなが幸せに生きられる社会を作ろう」とか正義としてモラルを教わりますが、「みんな」は原始の時代までは顔がわかるコミュニティのメンバーでしたが、その「みんな」は実社会では実態がなくなり、かなり漠然とした危うい存在になっているのです。』(p113より引用)
しかも現代は「みんな」の対象が、ネット上の、会ったことすらない不特定の人だったりしますね。その、見ず知らずの人に恋をしてお金を送ったり、逃げられたり、わけのわからないことになっている時代です。一見、リアルの友達や家族より、インスタントな感じで楽で都合良さそうですものね。時間と労力とお金をかけて吸い尽くされても何も残らないのですけど。やはり、昔ながらの集落、コミュニティの崩壊ですよね。
『スマホは近くのヒトとの距離を遠ざけ、遠くのヒトとの距離を縮めます。近くのヒトとは、親やクラスメートなど自分が最も強い信頼関係を築かないといけないヒトたちです。』(p176より引用)
SNSの先に居るよく知らないお相手にのめり込んで、ドロンされたら自分にいったい何が遺るのでしょうか。
■■■あめ的回答■■■
このご本の中では、ヒトの「幸せ」を「死からの距離が保てている状態」という定義が大前提です。例えばリストラされても、「生活できない」=「死への距離感が近づく!」となりますので、パニックになったりします。(※実際には世の中の仕事は星の数ほど年中募集されていますが)
我々のご先祖様たちだと、毎日必ずごはんがあったわけでもないでしょうし、自然の外敵もいて、今より身の安全は守れませんでした。現代は『幸せ』なはずなのですが…
『物質的な豊かさに幸せをあまり感じない一つの理由は、死からの距離を測りにくくなっていることもあると思います。原始の人がタイムトリップして現代に来たら、同じような感覚になるかもしれません。』(p154より引用)
身内が集まって、祖父母を看取ることも少なくなってきた現代です。死が身近でも感じる機会がなかったり、すでに他人事だったり。家制度を守っていこうとも思わないし、親族もよく知らないまま、好き勝手に結婚したり別れたり。コミュニティ、集団というのも自分ではどうしようもないぐらい無数に乱雑に混沌と存在しますが、人はひとりでは生きられません。
自分に、関われる範囲の健全なコミュニティには、細くても、何本も持ちましょう。(※新興宗教一本というのはダメですよ!)重いと嫌がられるので、ゆるく、ゆるく。
