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●進化生物学者 長谷川眞理子先生のご本です。世の中便利になりました。ご飯を炊くのも、洗濯も、暖房入れるのもボタンひとつ。夜中でも食べ物が買えます。そして捨てるレベルまで食品も物も溢れています。そして、最早多くの人が人間としての機能が狂いつつあります。
『こんなに大量に安価に美味しいものが手に入るようになると、当然ながら、過剰摂取の問題が生じる。肥満は全世界で増えており、2010年代の世界の「太りすぎ」の人の割合は40%近く、本当の「肥満」と言える人の割合は13%。』(p184より引用)
『運動不足というのも、人類進化史ではありえなかったことで、まさに現代生活に固有の問題である。』(p185より引用)
肉体労働は、それこそ100年前でも当たり前でした。肉体労働でもないひとが3食は食い過ぎでおかしいの。人類史上ありえない生活を私たちはしています。どうか、便利だけに流されないでください。
『ヒトは本来、何でもひとりでこなせるはずなのだ。しかし、この文明社会は、「職業」を1つ選ぶという専門化をするように個人を仕向け、他のことはしないように仕向けている。他のことは他の専門家に任せて、そのサービスを貨幣で買うというシステムにしてしまった。それで本当に人は幸せになったのだろうか?私にはわからない。』(p218より引用)
●本来の人間の性能機能をつい考えてしまいます。人類としては、何100万年もこうでした👇
『もちろん、電気なし、ガスなし、水道なし。自転車も船も飛行機もない。食料を貯蔵することはできないので、たくさん獲れる時期であっても、必要以上に獲っても腐るだけで意味がない。獲れないときは飢えるしかない。自然に任せる生活である。』(p104より引用)
ちゃんと自然に亡くなればいいのですが、現代の過剰な延命合戦でちゃんと自然に亡くなることは許されません。亡くなるときはスッとキレイにいってしまいたいですよね。
『技術も社会制度も発展したいま、より良い老後をめざすため必要なのは、やはり、なるべく長きにわたって、自分で自分の面倒を見て、活発な精神生活を送り続けることではないか。最後まで元気に働き続ける、というのが本来の姿だろうと思うのである。』(p202より引用)
「姥捨て山」の表現もこのご本ではありました。集団生活で、自分でできない、皆の移動についていけなくなると、置いていってくれと望む=死、とつながったそうです。それは理にかなっているのです。現代では、本来なら自然に亡くなっている人を、周りの人が自分の生活を犠牲にしてでもサポートします(ヤングケアラーは最たるものです)。みなさんはどう思われますか?
■■■あめ的回答■■■
ヒトは性善説、性悪説のどちらで捉えるべきかについて、長谷川先生のお答えはこちら。
『私の答えは、ヒトの発達から考えて「性善説が正しい」である。ヒトの本性を考えるには、子どもの発達過程を見るのが必須であろう。なぜなら、ヒトの大人が何を考えるにせよ、誰もが赤ん坊から出発せねばならないからだ。』(p149より引用)
赤ん坊がもっている性質こそが、「ヒトの本性」なのではないかと定義されています。あめちゃんは以前ご紹介した、ラフォンテーヌ先生の寓話で、フランスの教育では「人は騙してくる」という性悪説を教えられているということにも大変賛同しました。もちろん、教育の過程での話なので、赤ん坊の時点では、世話をしてくれる人たちに全幅の信頼を置かないと生存が成立しません。そういう意味では、だれもがスタートは性善説でしょう。
読み物としても面白く、考えさせていただける一冊です。
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