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●日蓮さんアレルギーの方にも安心して読んでいただける一冊です。世間的には「南無妙法蓮華経=法華経=日蓮さん」というイメージだと思います。そして、「南無妙法蓮華経のお題目を唱えると願い事がなんでも叶うよ!」と言っている宗教があります。そう言って、おかしなことになっていくのは必然です。
『たとえば、「南無」と口にしても、〈南無妙法蓮華経と頑張って唱えて病気を治すんだ〉というふうに考えていること自体が、すでに、「南無」のあり方ではないのです。』(p22より引用)
『信仰していたら病気にならないとか、病気が治るとか、災難に遭わないというのは、インチキ宗教の考え方です。「南無」という生き方は、そんな考え方ではありません。』(P23より引用)
南無とは、すべてをおまかせするということです。
病気になりませんように、リストラされませんように、離婚されませんように、受験受かりますようにといった、仏に注文をつけることではありません。
リストラされようが、フラれようが、南無しておきながら、文句を言ってはいけません。お題目は、仏にオーダーをする請求書の祈りを出すものではありません。もうスタートが誤っていたのです。
『「ありがとうございます」という感謝のこころが、真の祈りなのです。』(p98より引用)
リストラされても、次のステージで活躍すれば良いのです。病気になったら、生き方そのものを見直すチャンスです。フラれたら次はもっとステキな人と出会います(※これを斎藤一人さん的に言うと、「前よりも悪い人と付き合っていたらおかしいよ」になります)。全ては自分に必要で起こっているということです。
『一所懸命お願いすれば治るという考え方は、まさしくインチキ宗教の論理です。病気を治すのは、医者の仕事で、ほとけさまの仕事ではありませんよ。ほとけさまは、お願いされたら言うことを聞いて、お願いされなければ聞かないというようなことはありません。』(p96より引用)
「私は今、生活保護だけど、「家が欲しい!」ってお題目唱えています」とか、借金まみれなので「自己破産できるようにお題目を唱えています」という人たちをリアルで知っています。しかし、それらを本当にお題目で叶えてしまったら、むしろ悪因を積んでしまうのではないか?と思ってしまいました(本人たちには言っていませんよ)。とはいえ、
『わたしたちは、いいとか悪いとか判断しますが、じつは、何がほんとうにいいことか悪いことなのか、所詮、わたしたちにはわからないのです。
この世の中は、あらゆるものが縁起で成り立っています。それぞれが、お互いに補い合っている社会だと思うのです。極端なことを言えば、悪人がいなければ、おまわりさんも生活に困るのです。悪人もいてくれないと困るのです。』(p58より引用)
『——あらゆることが「縁」になっている——』(p114より引用)
カルト宗教の親に悩まされ、殺人を犯した人もいます。いろいろな因があって、縁として殺人にいきついてしまったのです。元から悪人だから殺人を犯すわけではないのです。居眠り運転で車で人をひき殺してしまう人も、必ずしも元から悪人ではないのです。元から悪人ではない。
■■■あめ的回答■■■
起こることすべてに文句を言う必要はありません。…が、我々凡夫ごときでは解せない想いも浮かびます。
ひろさんの家に、泥棒が入って大金を盗まれたエピソードが載っていました。仏教界に寄付しようと思って貯めていたお金だったそうです。
『あのお金はわたしのものではありません。ほとけさまのものだと思っています。盗まれたことは盗まれたのですが、考えようによれば、ほとけさまが自分のお金の保管場所を変えられたのだと思います。
〈おまえが持っていてはよくないから、別の場所に移すよ〉
と。だから、それほどショックではありません。
わたしたちには、何がいいか悪いか、わからないのです。あるがままに受け取らせてもらえばいいのです。そうなれば、この世の物差しを、少しずつ捨てることができます。
それが「諸法実相」です。』(p122より引用)
あめちゃんは先日、不本意ながら金ドブをしました。こんなことになるなら(昔から賛助会員をやっております)日本盲導犬協会に全額寄付したほうが100万倍良かったわと思いました。とはいえ、これにも、意味があるのだと受け入れることです。
(はっ!これって、小林正観さんの仰る「代償先払い」なのでは?!)