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●キリスト教のヒラ信徒のMAROさんのご本です。約2000年前の聖書の中にも、現代でもあるあるなやらかしをした人達がたくさん載っていたそうです。「自分が絶対に正しい!」という思い込み、悪口を言われて激怒する、デキる人に嫉妬、禁止されると無性にやりたくなることetc……。自分もやってたとか、あの人だ(笑)とか、心当たりが出てきます。そこからの教訓をMAROさんがわかりやすくアドバイスしてくださっています。
●こればかりはしなきゃいけないのが、理論武装です。ものをきちんと知っておかないと。イエスさんの「再臨」については聖書にきちんと再臨の条件となるものが明確に載っています。旧統一協会の文鮮明さんは、その条件で現れてはいません。なので「再臨のキリスト」ではありません。
『このようにキリスト教の「基礎の基礎」を知っておくだけでも、カルトに騙される可能性を大幅に低減させることができるんです。彼らは「私たちはキリスト教の一派です」と言って近づいてきますが、最低限の知識があれば「それ、キリスト教と違うじゃん」と指摘することができるんです。』(p252より引用)
『詐欺から身を守り、詐欺を撲滅する最も強い武器は、法律や制度ではなく、一人一人の意識と知識です。』(P253より引用)
『日本人は大半の人が「自分は無宗教である」と認識している世界的に珍しい民族ですが、この宗教に対して無関心な、いわゆる「宗教オンチ」な風土は、旧統一協会はもちろん、あらゆるカルト教団にとってこの上なく快適な環境です。彼らが暗躍するのに最適な環境を作ってしまった一つの要因は、この「宗教への無関心」にあるのかと思います。反対に、一人一人が少しずつでも「意識と知識」を向上させれば、彼らは途端に息苦しくなってくるんです。』(p254より引用)
●これは現代でもあるあるというか、あることです。聖書にも出ているそうです。
『「一人ではできないことも、みんなの力を合わせればできる」とはよく言われることですけれど、実はこれは良いことばかりではありません。人間は、一人では決してやらないような悪いことを、集団になるとやれてしまうという恐ろしい一面も持っています。そしてそんなとき、人は無意識に「耳をふさいで」いるものです。』(p76より引用)
『人は怒ると、相手の言うことに耳を傾けられなくなりがちです。ましてそれが集団になればなおさらです。』(p78より引用)
集団は足し算ではなく掛け算でブーストがかかってしまいます。聖書の中でステパノという殉教者が出てくるそうですが、現代では集団でネットリンチとか、集団の心理の暴走があります。仮に1対1ではこんなことにならないのです。
●「人をゆるす」というのは洋の東西を問わず深い命題です。
『しかし、クリスチャンとして大切なことは、「ゆるす」よりも「ゆるされる」ことなんです。この許されるという経験がなければ、人をゆるすことはできません。仮に神様を抜きにして人間同士の関係だけに注目しても、「ゆるされる」経験をしたことのない人は、人を「ゆるす」ことができません。』(p278より引用)
お互いにゆるし、ゆるされ、そしてゆるされることで愛される。例え、なんでもできる完璧人間が思い上がって鬼の形相で人を裁く「残念な人」でも、いえ「残念な人」だからこそ愛されることができる。残念な人のままで終わりませんから大丈夫。
『残念な一面は、愛が注ぎ込まれる注入口なんです。残念な一面が多い人にこそ、神様の愛がたくさん注がれるんです。』(p279より引用)
■■■あめ的回答■■■
先月『日蓮を生きる』(ひろさちや著)をご紹介した時にも思ったのですが、「ちょっと考えれば簡単な話」も、カルトに盲信する人の心理を考えてしまいます。歴史から見て、人々のやらかした失敗談を学ぶことによって、自分のバカな失敗の確率は減らせます。この場で、これを言ったらマズイとか、こうふるまったら後で大変なことになる……といった失敗の確率を減らせます。当然、人間は完全無欠ではないので、これからもヒューマンエラーは誰でもやらかします。確立を減らすことによって、無用なストレスも減り、より穏やかに日々を送れます。だからまずご本を読みましょう。
MAROさんのご本はこれまでもご紹介させていただきましたが、自分の身の回りでも心当たりあるなぁ…というお話がいろいろ載っていて、親近感があって読みやすくておススメです。
キリストさんのご遺体を運んでいる絵です。国立西洋美術館で撮影📷