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●高野山真言宗で修業をされた僧侶であり看護師の玉置妙憂さんのご本です。冒頭で、
『そもそも、「ほかの人と比べて、自分はどうだろか」と比較して考えること自体は悪いことではありません。』(p21より引用)
と仰っています。看護師もされているので、医療現場ではやはり(比べて)異常値を見つけるのは大事なプロセスとなるそうです。
『比較は、生命をつなぐための戦略として当然のことでした。比べることを繰り返し、それに成功してきたからこそ、人間は栄えてきたのです。』(p22より引用)
比べてしまうことに、否定もジャッジもしなくて大丈夫です。比べて見下すのはやってはいけませんよ。
●「自分はこう思っているんだな」と思って大丈夫。
『自分の本心に気づいたら、手放す。
「そこをなおさなくちゃいけない」とか「親の教育のせいかもしれない」など余計なことを考えず、「私の本心って、こういうことだったんだな」の気づきで終わりにすることが大切です。
イライラしているときも、「ああ、私、ずいぶんイライラしているな」と客観視するだけで、おしまいにすることです。』(p104より引用)
そこで思ったことを追いかけない。何か嫌なことを人から言われても「そうですか」で終わる。なまじ、自分の方が正しいと思っていると、相手をやりこめてやろうと考えがちですが、闘わなくていいんですよ。(やりこめて勝ったとしても恨まれるだけです。)
『大事なことは、何かにとらわれそうになったら、いったん離れるということ。
人間関係も同じです。』(p141より引用)
折茂肇先生のお話でも、そことは別のことで物理的に思考を断ち切ってしまうこととありました。それこそ、違う場所に逃げて大丈夫です。ダッシュで逃げてください。
●妙憂さんは、自分が「愛されたい」「認められたい」欲を満たすには、「自分は大丈夫だ」と毎日言い聞かせて下さいと仰っています。(斎藤一人さんの「なんとかなる」を唱えてもいいと思います。)
『でも、どうしても不安から逃れられないのなら、より安心できる比べ方をしたらいい。』(p195より引用)
「あそこまで酷い目に遭わずに済んでよかった」「自分はこの程度で済んでよかった」これぐらいに思って大丈夫です。とらわれからどうしても離れられないなら、むしろ利点、美点を発見しましょう。
■■■あめ的回答■■■
看護師さんならではのエピソードだと思いますが、看取りの現場では、何をしても、何を選んでも家族は後悔するのだそうです。
『結局、どの方法を選んだとしても、人間というものは後悔するようにできているのでしょう。
ですから、後悔をしてしまうのは仕方のないこと。
大事なのは、そのときの自分を認めたうえで、後悔から学べることは学ぶことではないでしょうか。』(p187より引用)
学んで次につなげるしかないのです。そこで昇華していくものだと思います。あの時あの道を選んでいればと後悔しても、現実にはこの道を選んだのは必然です。この道を受け入れましょう。
だからこそ「自分は大丈夫だ」と唱えることが大事になってきます。大丈夫じゃないなら、大丈夫で自分を満たしてあげましょう。