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早稲田大学名誉教授 加藤諦三先生のご本です。以前もご紹介しましたが、自分らしくない生き方を人から押しつけられたら「私はそういう人間ではありません」を言えるかがカギになるお話。ウサギさんは「もしもしカメよ」と、カメに構わなくていいからさっさとウサギの仲間のところに戻りなさいよというお話をYouTubeで語られていたことがインパクトありました。
『淋しいから、誰でもいいから因縁をつけて、人と関わる。
孫が遊びに来てくれない高齢者である。自分が淋しい、娘に来てもらいたい。
そこで「孫が可哀想だから」と娘夫婦に絡むことを合理化している。
自分の身勝手を「私は苦しい」と言うことで合理化する人もいる。
アイデンティティーが確立していないと他人が重要になりすぎる。』(p146より引用)
人にこう思われたいとか、人に嫌われたくないとか…
『なんでそんな人たちに嫌われるのが怖いのか?なんでそういう人たちに認められたいのか?皆アイデンティティーが確立していないから。』(p153より引用)
人のことばかり考え話している、レジリエンス(心のしなやかさ)がないと、とにかく人のことばかりで自分自身のことは放ったらかし。皆様も心当たりはあるでしょうか。ぼっちになる不安よりも、嫌な思いをしてでも嫌な(怖い)人と絡んで不幸になる方がマシだという人はほんと多いそうです。暴行されても「あの人は私がいないと生きていけないから」と不幸にしがみつく。不安よりも不幸の方がマシだという心理がはたらくそうです。「自分はそういう人間ではない」のですよ。
『苦しみの原因を間違えたら、死ぬまで無意味に悩み苦しむ。』(p100より引用)
あの人じゃなきゃ生きていけないということなんてないので大丈夫です。この会社、この仕事じゃなきゃ生きていけないことも絶対ありません。生まれたからには色々な生き方ができるんです。それでも、環境、コンフォートゾーンが変わる未知の世界への不安よりも現状の不幸にしがみつく、それぐらい不安は怖いものですが、出てしまったら大丈夫!後になって、
なんであんなしょうもないものに一生懸命しがみついていたんだ私?!
って目が覚めますから。
■■■あめ的回答■■■
今回タイトルの「50歳からの生き方」のページは取り上げていませんが、中高年になってもムリして他人さんの人生を生きていたら苦しいまま、それこそ中身子供のままというお話が書かれていました。今のあめちゃんはリアルで人間関係の困りごとがゼロでして、他人さんの生き方に介入していませんし、相手もこちらに介入してきません。みんなほどよい距離感のお付き合いなのと、それを壊そうという困った人も、友人知人身内ともいないので、かなり生き易くなりました。
私事ですが、以前、理不尽なぶち切れをしてきた友達がいまして、きっと、あめちゃんはそういう態度をとっても受け容れてくれる聖女のような人だと信用してぶち切れられたのかもしれませんが、そこは、あめちゃんは「私はそういう人間ではありません」ということで、あめちゃんはあなたが信用してぶち切れて良い相手ではないのですよというニュアンスでお伝えはしました。
まぁ、こういうことをやってもいい相手だと識別されたら、それはすでにナメられていますよね。
自分の責任において「私はそういう人間ではありません」と伝えるのは強力ですよ。他人さんの土俵に上がり込むと、どうやら自分の人生が生きにくくなります。自分のことを放ったらかしにしないで、他人に逃げなくて大丈夫ですからね。
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