月読寺住職の小池龍之介さんのことは「ゆほびか」という雑誌で知りました。掃除の特集号でした。自分にとって不要なものの見極め方は、あめちゃんには命題でして(苦笑)物品に限らず頭の中のゴミや執着も手放したいものです。
■例えばですけど、親に誕生日プレゼントをしようと思った場合『お金がないからやめとこう』とか『でも親の喜ぶ顔が見たいし』とか一瞬迷ってしまうんだけど、この場合のベストアンサーってなんだろう?
■本当に自分に縁のある人の見極め方って、どうやるんですか?
■あれやこれやと、欲が多すぎてなにかと決断できない自分……
…という方には、小池さんのユーモラスな口調での名案が載っていますこちらのご本がおススメです。
「自分がアレをしたい」「こうしたい!」という欲望が多すぎて、そうしたらいいのやら、バタバタしているうちに『今、コレをするタイミング』という現実を逃してしまって、多数の欲望同士がぶつかって…結局決められないということってありますよね。
ある程度は、自然やお天道様におまかせしちゃっていいんです。
例えば、「これは私が決断している!」と見えたとしても、実際は
『そのようになるための、条件と縁が熟しきったことによって、なるべくしてなった』(P93より引用)
なのです。自分が、自分がと言ってると、大事なことを見誤ってしまうよなぁ…と思うあめちゃんです。
望みは、自然のリズムとミッションに合っていれば、忘れたころに、流れが変わって叶ったり、解決したりしているから大丈夫です。思うようにいかない時ってパニクったりして、余計ものごとがこじれたりって、あるあるですものね。
『自分がこうした!』とかの我って、宝に見えて実はゴミなのだそうです。
小池さんがおっしゃるには、例えば、お店の店主の方があまりにも商品にこだわりすぎて、他を批判していたり、怒りっぽかったりしたら、有機だろうと何だろうと台無しなのだそうです。これは、あめちゃんも「わかる~」って頷いてしまいました。
■あめ的回答■
このご本を読んでいて、花丸の答えというものは『ミッションを果たす』ということです。上記の、例えば親へのプレゼントのお話だと、値段をケチるとか、評価とか、そんなことよりも、『純粋に親を喜ばせよう』というミッションなのです。
流れに沿ったことじゃないと 無理やり実現させようとあがいていても、しんどいことがかけ算になってくるし、自分のミッションを果たしていくと、自然と解放されてゆくのです。
あめちゃんは自然の流れ(お天道様の決めたことと言ってもいいです)に、あらがうことを昔はめちゃくちゃやっていたのですが、ただしんどいだけで一向にものごとは解決せず……ということはたくさん経験しました(笑)まぁ、だからこその、今このようにたくさんご本を読むきっかけの一つにもなったのですが。
「あらがわない」「自然におまかせ」「ミッションを果たす」この3つを心得ると、自分の中の問題解決につながりますよ。
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