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キリスト教をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士MARO(マロ)さん(牧師さんではなくヒラ信徒だそうです)による、聖書からの引用によって心がフッと軽くなるようなお話が詰まったご本です。聖書からの引用ですが無神論者でも仏教徒でも、読んで日常で役立ちますよ。思いやりと優しさに満ちたご本で、そして新たな気づきも得られました。
■人のことも許せないし自分のことも許せない……頭も心もガチガチでしんどい。
■承認欲求は誰でも大なり小なり持っちゃっているんだろうけれど、できることはできる、できないことはできないって認める、ありのままを見れる素直さもほしい。
■弱さを強さに変えるコツとはなんでしょうか?
■怖い上司、いじめっ子、嫌な同僚……まるで強大な敵のように感じてしまう彼らの正体は一体何なのでしょうか?
……などと頭をかすめたことがある方はぜひお読みいただきたいです。
●ちなみに■4つ目『彼らの正体は一体何なのか?』については、答えを言っておきますね。「彼ら」も自分と同じ ただの人間でしかありません。1日は24時間しかないし、瞬間移動ができるわけでもなく、全知全能でもありません、彼らにも色々なことに限界があるのです。なにが強大な敵のように感じさせるかというと、
彼らを過大評価しすぎている、ということです。
自分の想像力でもって、でっかく仕上げてしまっているのです。
●祈りとか善行とかは、人に見えないところでやりなさいとイエス様はおっしゃっているそうです。これと全く同じお話が仏教的にもあって、陰徳(人に見えないところで徳を積みなさい)のことなのですが、なぜ人に見られずにやる必要があるのかというと…
『その人は周りの人から「あの人は偉い」と思われる、という「報い」をすでに受け取ってしまうので、神様からの報いは受けられないからです。』(p37より引用)
『人前で祈る人が望んでいるものは、神様からの恵みや祝福ではなく、他人からの評価だということです。そして、他人の評価目当てになされる祈りには、神様は応えることはありませんよ、ということです。』(p37より引用)
だから陰徳が大事なんですね。
●↓↓↓こちらは、すっごく素敵だなぁと思ったMAROさんのお言葉。
『たくさん弱さのある人はそれだけ神様に満たしてもらう頻度が高い「神様がかまってくれる回数が多い人」ということになります。言わば「神様のお気に入り」です。それが幸せなことである、と聖書は語っているんです。』(P234より引用)
自分は無神論だから関係ないという方もごまんといらっしゃいますが「こう思っといたほうが得!」というものがあるのもいいんじゃないでしょうか。
■あめ的回答■
聖書をメインにしたご本は初めて読んだのですが、MAROさんのお人柄もよく現れているのでしょうか、温かいご本でした。タイトルが眠れぬ夜の聖書のことばですが、読んでいて眠くなったら寝ちゃってくださいねとおっしゃっていて、ホッとやすらいで眠れたらそれでいいんですといった、このご本のぬくもりの効果もありだと思います。