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●出口さんは2021年1月に脳出血を起こされて、以後は右半身にマヒが残り、車いす生活をしながら立命館アジア太平洋大学(APU)学長をされています。突然障がい者(マイノリティ)となられ、それは世間では「逆境」と呼ばれるものになります。しかし、そこで、なんとしてでも立って歩けるようになろう!などの執着はなく、一生歩けないという事実を受け入れることが始まりだったそうです。そして、右半身マヒでも、できることにリソースを集中すること。
『逆境に直面するということは、環境が変化したということです。その変化を「なかったこと」にはできません。元に戻そうとするのではなく、いかに自分の暮らし方や考え方を環境の変化に合わせて変えていくかが大事だと思います。』(p53より引用)
歴史に「もしも」はありません。もう「起こった」のです。なし!なし!なかったことにはできません。麻生泰先生のご本でもありましたが、変えられないことと変えられることをごっちゃにしないことです。大丈夫です。
『「大きな目」で見れば、どんな逆境もいつか必ず終わりを迎えます。』(p119より引用)
出口さんは会社員時代に、ご自身の落ち度ではないのに左遷されたご経験があります。
『僕は、会社で左遷されたときには、仕事が暇になって生まれた時間を旅や読書に使いました。ただ好きなことをやっただけで、具体的な目的のために準備したわけではありませんが、結果的にはそれが還暦以降の人生に役立っています。』(p120より引用)
文句を言って闘わなくて大丈夫なんです。文句を言って、ピンチをよりピンチにしなくていいんです。
逆境は往々にして「本人に落ち度がなくても」突然やってくるものです。並木良和さんだと、強制終了(スピリチュアルクライシス)と表現されていましたが、強制終了は悪いものではありませんから大丈夫。以下、出口さんです。
『僕にとっては「あきらめる」は、「運命を受け入れてベストを尽くす」ことと同義です。ここまでお話してきたことからおわかりいただけるように、それは精神論ではなく、最も合理的な、逆境の乗り越え方なのです。』(p189より引用)
「なかったことにしてください!」と何時間、何日、念じても全く意味がないのです。クビになった、離婚した、身内が亡くなった…色々ありますが、「ナシ!ナシ!」はできないのです。「次にすること」に早く移った方がいいのです。そのためにも、ご本のタイトルのごとく教養が必要です。出口さんは歴史からの引用で、今の自分と照らし合わせ学べることがたくさんあると仰っています。
『逆境自体は「どうにもならない」とあきらめて、自分の置かれた環境にどう適応するかを考えるべきです。』(p184より引用)
あぁ、もう起こってしまったことなのだと、ゴネてないで受け容れるということ。ですが、もうひとつの適応方法で逃げるということも書かれています。
『とくに、若い人たちは、いま生きている場所が窮屈だったりつらかったりするときは「生きる場所はここだけではない」「逃げる」という発想を持ってほしいと思います。
そして、言うまでもありませんが、政治家があまり優秀でなく信頼できないときに、僕たちがまずすべきは、「選挙で投票すること」です。』(p200より引用)
■■■あめ的回答■■■
受験に落ちても他があります。苦しい離婚しても幸せな再婚をする人はたくさんいらっしゃいます。これから変えていけます。しかし、死んだ人を生き返らせることは不可能です。いくら祈ろうがお金を積もうが、無理なものは無理なのだと受け入れることです。前に斎藤一人さんが「ものごとって案外道理でできているんだよ」と仰っていました。
もし、「死んだ妻は必ず生き返る!」と信じているとして、それ自体は止めませんが、くれぐれも周りの大事な人たちを巻き込むことはしないでください。「自分は信じている」で自己完結しましょう。
今の自分にできること…いろいろな気づきから、思いがけない適性があった!と新しい自分に感激することもあると思います。コンフォートゾーンを出るチャンスです。
