『苦しくて切ない すべての人たちへ』 南直哉
『苦しくて切ない すべての人たちへ』 南直哉

『苦しくて切ない すべての人たちへ』 南直哉

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恐山の禅僧 南直哉(みなみじきさい)さんのご本です。これまで南さんが出会ってこられた方々から教訓や気づきを得られたエピソードが色々載っています。例えば、南さんが駅のホームでたまたま聞いた女子学生の会話より👇

『あのさあ、よくさあ、やらないで後悔するより、やって後悔するほうがイイ、って言うじゃん。でもさァ、やらないで後悔するなら自分一人ですむけど、やって後悔したら、他人も巻き込むじゃん!』(P141より引用)

なるほどですね。南さんは、彼女を「教養人だ」と感じられたそうです。以下は、別のお話で南さんのお父さんのセリフです。

『ただの苦労話は自慢話と同じだ。聞いて面白いと思うヤツは誰もいない。頼まれない限り、するな。どうしてもしなければいけない時には、全部笑い話にしろ』(P143より引用)

失敗した、損をしたなどで他の方にも教訓となれば苦労話も役に立ちます。しかし、多忙や苦労自慢なんて聞かされるだけ聞いた側は損ですよね。以下もお父様のセリフです。

『利口者は、他人から言われた時にわかる。人並みのヤツは、痛い目にあってわかる。馬鹿は、痛い目にあってもわからない。失敗してわかれば御の字だ』(P145より引用)

そうなんですよね。失敗してわかるならまだいいほうなんです。物分かりが悪すぎて引く…という思いをされた方もいらっしゃるでしょう。(ここで、痛い目をみてもわからない人をバカにしてはいけませんが)「普通これぐらいわかるでしょ」と言っても「普通」ではないひとはごまんといます。

恐山ならではのエピソードも載っています。亡くなった父親が赦せずにイタコさんに口寄せを依頼した男性が、最後には笑い話に転換されたそうなのですが、長年怒りを持っていた父親をわざわざやっと恐山まできてやっと赦せたんだという所に南さんは感慨深くなったそうです。

『思うに、「赦す」ことは難しい。なぜなら、単に相手を赦すのでは、赦しにならないからだ。
本当に人を赦すと言うなら、「赦す自分」を赦せなければならない。辛い体験をしたにもかかわらず、敢えて赦す。その自分を赦す。』(p42より引用)

この場合「恩赦」の「赦す」です。斎藤一人さんが「自分をゆるせない人っていっぱいいるよ」とよく仰っていますが、「ゆるし」は深いテーマです。そうなんですね、単に相手を赦すのでは赦しにならない。「あのとき、ああできなかった」「あのときああ言えなかった」という自分が赦せないから怨嫉レベルまでいってしまいますから。(ゆるしのお話は斎藤一人さんのご本も併せておすすめします)

■■■あめ的回答■■■

出口治明さんのご本のように、読み物としてとても面白いご本でした。テーマは深いものばかりです。

『よく「夢が破れる」と言うが、それは違う。「現実」が破れて夢になるのである。』(P214より引用)

言い得て妙ですね。「あれはいったいなんだったんだろう…」みたいな。バブルも夢だったのか?!みたいな。(※あめちゃんはバブル期は小学生だったのでバブル景気を知りませんが)

想っていたものと逆だったということは往々にしてありますよね。見えているものしか信じないという人もいますが、逆に、見えていることしか知らないんだね、とも言えます。

『「ポジティブ」でも「ネガティブ」でもなく「ニュートラル」であるには、要するに「いい加減」にしておけばよいのだ。』(P211より引用)

禅だと「白黒つけない」というベースがあります。南さんは、ニュートラルと表現されています。このご本のタイトルに添ってあめ的回答をしてみるならば、「自分はこれで想い悩んでいるけれど、実は本質は違うのかもしれない…」という感じでしょうか。

「そういう見方もあるのか、なるほど」が詰まった一冊です。

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