『般若心経 生き方を学ぶ』 ひろさちや

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般若心経 生き方を学ぶ (単行本) [ ひろさちや ]
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ひろさちやさんが仰るには、要は『般若心経』の言っていることは、物事をあまり深刻に考えるな!ということだそうです。分からないことに執着しなくても大丈夫です。むしろ現代人は、下らないことを挙げ連ねて悩みすぎなのです。苦と楽はセットになっています。ボクサーがハードなトレーニングや減量をする。それは苦しいけれど楽しいことなのです。「苦即楽」です。

『したがってわれわれは、わざわざ苦と楽を分別しないほうがよいのです。大乗仏教はそう考えます。小乗仏教は「人生は苦である」と言いますが、わざわざ「苦」を実体視し、固定化しておいて、そしてそれを撲滅しようとする態度をとります。『般若心経』はそのような小乗仏教の態度を叱っているのです。』(p94より引用)

むぅ、小乗仏教のやっていることはマッチポンプということですね。大乗仏教は「正義」も言いません。

『ともかく、正義というものは「勝てば官軍」でしかありません。そんな正義にこだわることはやめましょう。』(p103より引用)

大乗仏教では「いい加減」でいいんです。それぞれのいい加減です。熱い風呂がいい加減の人もいれば、ぬるい湯がいい加減の人もいます。「いい加減」を上品ぶって言えば中道です。釈迦は、苦行が極端な道だと気づいて「われは中道を行く」と仰ったそうです。

『もちろん中道は、物事をちゃらんぽらんにやることではありません。それは、あらゆるものにこだわらないことです。そして、人生を、こだわりなく、のんびりと、ゆったりと歩むのです。』(p105より引用)

布施の心がけも、ひろさんのお話で勇気をもらえました。全財産を喜捨する必要はありません。ほんのちょっと損をすることがポイントです。電車の中で、自分も疲れているけれど、立ち上がって老人に席を譲るのも布施です。

『施者が受者に、〈貰っていただいてありがとうございます〉といった感謝の気持ちを抱いたとき、その施しが本当の布施になるのです。』(p148より引用)

しかし、もっと上をゆく施しがあります。それは、はじめから坐らずにいるです。

坐りたい欲を少し抑えて、立っている。これは、ちょっとの損です。これが仏教の布施です。

『わたしたちは自分の人生を生きているのです。
めいめいの目指す方向が違いますから、どちらがより目標に近づいたか、それを測る物差しはありません。〈あいつに負けた〉と思っていた競争相手が失脚して、思わずほくそ笑むことがあります。それも見苦しいですね。わたしたちはそれだけ他人を気にしている(執着)のです。「自燈明」の精神を忘れています。』(p116より引用)

だからこそ——のんびり・ゆったり・ほどほどに——歩いていけば大丈夫。

■■■あめ的回答■■■

そもそも論ですが、みんなそれぞれ、土俵も、持っている条件も、あらゆることが違います。「仏の智慧」とは何でしょうか?

『まずは、「損するための智慧」といっておきましょう。
大損をしろ、というのではありません。自分にできる範囲の損でいいのです。自分も困り、家族も困るような損をしてはいけません。それには智慧が要ります。たとえば、乗ったタクシーの運転手が道をまちがえて遠回りをしてしまったとき、〈これぐらいの損は、いまの自分の財政からして、大したことはない〉と、ちょっとチップを加算し、「ありがとう」と言って降りる。もちろん、喧嘩をしてもいいのです。でも、喧嘩をすれば、あとあとまで気分が悪いですね。どちらを選ぶか?その判断が般若です。』(p40より引用)

ちょっとの損でいちいち目くじらを立てていたら、立てている本人がしんどいし、コスパ(タイパ)が悪すぎます。今のご時世だと、喧嘩している姿が撮影されているかもしれません。もうキレイに完了しておくのが吉です。

「なかなかそうは言っても…」というのが我々凡夫です。ひろさんは、脳梗塞のリハビリ中に本書を書かれました。これまでも十冊以上『般若心経』についてのご本を執筆されてきたひろさんですが、凡夫としては気が晴れず、今一度『般若心経』を読み直すきっかけとなったそうです。一周も二周も回って戻ってみたら、また新しい気づき、見え方などがあるものです。がんばらなくても大丈夫。ちょっと先日のひろゆきさんのご本の内容ともリンクしますね。

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