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伊勢白山道さん。検索してみましても何者なのかわかりません。ミステリアスです。ただ、ご本の内容につきましては相当ものごとの本質を見抜かれています。タイトルの通りですが、あなたは自分のことをほったらかしにしていませんか?人のことばかり言って「自分のこと」から逃げていませんか?あの人がこの人がと言っていませんか?
『自分が生きたすべてが、自分に反転・反射するのです。完全なる公平なことです。だから、この世の不幸や、不公平・不満に悩むことはないのです。』(p43より引用)
『自分自身が「受けた」ことは関係ないのです。自分が受けた物事よりも、自分が何を「出した」のか?』(P47より引用)
自分に向き合うことをせずに他人ばかり見ていたら余計に不安感が増します。
●不幸にムダや損はない(p66より引用)というお話があります。嫌なことがあっても「あぁ、ありがたいな」「これにも意味がある」と思えますか?あめちゃんも昔は「意味なんかいらん!!!」と憤慨していた側の人間でした。今でこそ、意味なんかいらん!と憤慨していたことにすら意味があったとわかります。憤慨する側の立場もわかったので。
『もし嫌なことが自分にあっても、これで返すべき霊的な借金が減った、代わりに病気にならないで済む、大難が小難になった、これから良いことが起こる合図だ、などと自然と思ってしまいます。』(P66より引用)
櫻庭露樹さんの仰るところのコスモスローンの返済ですね。このお支払で1コ因果が解消できるのですから「ありがたい」となるのです。ここで文句を言って新たな因果を作ってはいけませんよ。
『自分が受けたことを、そのまま出すという、「ヤラれたらヤリ返す」という連鎖(カルマ・因果)の「循環」を無意識に自分がしている限りは、これが輪廻(回る車輪)となり終わらないのです。いつかどこかで、この循環を止めることが重要であり、人がコノ世に生まれて来る理由でもあるのです。自分は虐待を受けたけれども、自分は虐待をしない、というコノ世での実績が輪廻の循環を切断することになります。』(P40より引用)
この悩んでいる瞬間こそが「ここで終わらせる!」チャンスなのです。昇華させるのです。
●「因果応報」ってありますよね。「あの人はあれだけ悪さをしても罰もないじゃん」とか思ったことはありますか?これは、やったらすぐに出て来る訳ではなくタイムラグがあります。短期的にはわからなくても長期の視点では因果応報は必ず成立します。こちら、面白いなぁと思った一文なのですが、
『だから、自分から怒りを出していますと、やはりよくないのです。自分が怒られる現象が他所から補充されていきます。』(P40より引用)
「ものごとは案外、道理でできているんだよ」と実業家の斎藤一人さんが仰っていたのですが、最終的には、つじつまが合うようになるんです。最初の方に載せました「完全なる公平なこと」なのです。
■あめ的回答■
「なんにも還ってこないし、悪いこともし放題じゃん」と思いがちかもしれません。何でも実験する唯物論者の小林正観さんが、「ありがとう」の言葉の力を検証されました。しかし、正観さんが自ら検証ができなかったことがあります。それは「愚痴、泣き言、不平不満、悪口など…」を言い続けたらどうなるのか?は、とても自分では実験できなかったそうです。(自分ではとてもできなくても、それをされている人の姿を見て、そういうことなのか…と納得はされたそうです。)
「怖くて自分ではとてもできませんよ」それでいいと思います。過去にしてしまった分(借金)は、きちんと還していかないと。「完全なる公平なこと」ですから。
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