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●早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授 池田清彦先生のご本です。最近『老い』のテーマを挙げているあめちゃんです。誰だって若死にしない限り、老いは逃げようがないのです。付き合っていくしかないのです。あめちゃん今年50歳で、もう残りの人生の方が生きてきた人生よりもうんと短いはずです。(120歳まで生きてしまったら、「あと70年もあるじゃん」という話になりますがなりますが、なまじ長生きしてしまったらそりゃ大変ですよね)
●あめちゃん自身が後期高齢者も肉体労働するのは当たり前という現場に居るので、以前ご紹介しました富家孝先生が仰っていました「人生100年時代とは、死ぬ一歩手前まで働かないといけないことを意味している」というのも感じております。
『定年制度だって、体力的に働くのがつらくなった社員を労うためのものではなく、本当の目的は組織に新陳代謝をもたらすことなので、要するに会社のための制度なのです。人材の入れ替わりがなければ若い世代に機会が回らず、組織として停滞することにもなりかねませんからね。(~中略~)
そもそも日本で定年制度が広く普及したのは高度経済成長期のころでした。
当時寿命そのものが現在よりずっと短く、1960年時点で男性は65歳ほど、女性も70歳前後です。』(p92より引用)
老いの線引きが、それこそ人による、となるのですが、60年前では定年は理にかなっていたのですね。今、定年退職して無職ですと言っても、毎日をどう消化したらいいのでしょう?和田秀樹先生のご本では、テニスをやっていた世代の人が、老人になっていきなりゲートボールをするなんてことはないというお話がありましたが、急に老人にチェンジ!というわけではないのです。
『昨今、何かと高齢者が標的にされやすいのは、社会保障をめぐる問題の影響もあるでしょう。「高齢者が社会保障を食い潰すせいで、自分たちに重い税負担がのしかかっている」と考えるのであれば、若い人たちにとって高齢者は「害」でしかないのです。
しかし、社会保障というのは国家の施策であって、個々の高齢者が勝手に得ている特権ではありません。だから、高齢者を悪者扱いするのは、ただのの弱い者いじめなのです。』(p98より引用)
●状況に応じて行動を変える、ということ。日本では、一貫性を持つ、変えないことが美徳とする傾向が強いです。
『状況が変わっているのに、同じ態度で居続けることにはなんの合理性もありません。株価が下がれば買うべきで、上がれば売るべきなのと同じで、生き方だって状況に応じて変えるほうがはるかに自然なのです。』(p200より引用)
ふと『チーズはどこへ消えた?』を思い出しました。もう状況は変わっているんだよ。同じとこに居てちゃいけないの。ということを認めずに、これまで通りに執着すること。怖いですよ。
■■■あめ的回答■■■
池田先生は、ちょうどいい生き方を提唱されています。起きる時間や寝る時間、食事の時間を一定に保つほうが老化を遅らせられるということ、「ちょっと面倒くさい」けれど仕方ないからやろう、ぐらいが適度なストレスでちょうどいいということ。昭和1ケタ生まれの人たちこそ、これができていたから元気な高齢者が多いのかもしれませんね。ジャンクフードばかり食べて、夜更かしして、ゲームをやって、肉体労働をしているわけでもない若者(?)中年(?)は、どんな老後になるのでしょう?
将来は、公費負担で安く済ませて寝たきり老人でも生きてりゃめっけもんだとは思えません。床ずれの痛みに耐えて、おしもの世話も介護者が雑な対応をして不快でたまらなくても文句を言っても通じないどころか塩対応されて(※介護者だって人間ですから女神様ではありませんし)、さらにつらくなるとか、身内も寄り付きもしてくれないとか、仮に費用が安かろうが心は地獄じゃないですか?介護者に天国のようなサービスを期待しては酷です。(天国のようなサービスを求めるなら相応の費用をあなた払えますか?!となりますよね。)
今のうちから「ちょっと面倒くさいけど、仕方がないからやる」ぐらいの適度なストレスを自分に与えてください。
