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●医学博士 長尾和宏先生のご本です。認知機能と歩くことは相関があります。
『誰もが嫌がる寝たきりはいきなりなるものではなく、段階的に進行した結果です。』(p30より引用)
寝たきりは自分だけで完結する話ではありません。手を貸して下さる方たち全員にも負担です。申し訳ないと感じつつ、人にお願いしないといけないのも嫌ですよね。とにかく歩かない人ほど病気になりやすい、と長尾先生のご実感だそうです。まずは毎日20分でもいいから歩きましょう。
たかが歩行?と怪訝に思わなくて大丈夫です。そのたかが歩行ができなくなっている何万人もの人のことを想像してみて下さい。とてもバカにはできませんよ。
『本来、医療の基本は、栄養と歩行だけと言ってもいいくらいです。その二つで足りない場合にだけ、期間限定で最小限の薬が処方されるというのが大原則です。』(p46より引用)
人間はそもそも「歩く」ようにできています。食べて、歩いて、寝て、人としての当たり前のことです。食べて、寝ることは毎日誰でもします。「歩く」がおいてけぼりになりがちな現代です。
『「親の財産がたくさんあって、働かなくても生きていける人」「家賃収入が多く仕事をする必要のない人」「専業主婦で、夫の収入が高いため働かなくてもいい人」などは要注意です。フルタイムで働いている人と違い、毎日外に出かける必要がありません。家の中で、お菓子を食べながら一日中テレビを観ていても生活していけます。ほとんど歩かず、ブドウ糖過剰の生活を続けることが認知症にとって一番のリスクです。実のところ、認知症は、恵まれた人ほどリスクが高い病気という側面もあります。』(p71より引用)
近所のスーパーに行くにも自転車を使って歩かない。荷物を持って歩くというのは負荷をかける良いチャンスですよ。ミニマリストしぶさんのご本で、江戸時代の人たちは、家の中だけで生活を完結させなかったというエピソードが載っていました。水をくむのも外、トイレも外、冷蔵庫もないから食品の調達も都度都度。歩かざるをえない日常でした。当時の人たちの体力はすばらしく理にかなっていたでしょうね。あめちゃんは元出不精を公言しています。若い頃は宅配で食事を済ませたり、カップラーメンも日常でした。そうやって将来の健康な時間を消化してしまうしまう行動のオンパレードでした。あの頃に戻りたい!なんて思いませんよ。
『昔から、座っている時間が長い人は短命と言われています。』(p168より引用)
もちろん、毎週ジムに行くなんてプロ意識ないとムリですので、20分でもいいから歩きましょう。歩くという、人間として当然の行為が、できない身体になったときには、「あぁ…もっと毎日歩いて身体を整えておけばよかった」と後悔してしまうと思います。他の人に「私の代わりに歩いて足を鍛えてちょうだい」とお願いしても、それは、あなたではなく、他の人の体力という財産になるだけです。代わってあげられないのです。だから、あなたが歩いてつくりあげたボディはあなたのものになります。長尾先生は「歩行教」と宗教チックに例えられていました。
『お金は要りません。でも現世利益はしっかりあります。』(p218より引用)
■■■あめ的回答■■■
日本人は(遺伝的に)軽度の肥満でも糖尿病になりやすいそうです。戦後、洋食を食べるようにはなったものの、日本人の身体(腸内環境など)は、高脂肪食にまだ慣れていないので、それこそ100年前ではありえなかったような病気のオンパレードの時代になりました。デブですら100年前では珍しかったのです。100年前では老人も畑仕事、力仕事をしていました。現代は恵まれすぎているゆえのぜいたく病のようなものが蔓延しています。「おいしいものいっぱい食べてデブになって病気になっちゃった!国に助けてほしい!」で、国はけっこう助けてくれていますよ。透析でも一人に年間500万円はかかります(病院にとってはドル箱だというお話は富家孝先生のご本にて)。保険適応もされます。お治療は受けられても、やはりそのような、そもそもがだらしないマインドだとQOL低くて、生きていることの喜びも味わいにくくなるんじゃないかな…とは思います。
目的なく歩けないよ、という方には、ぜひとも清掃作業員になることをおススメします✨。たいていの清掃員は朝3時前後に起床、早寝早起き当たり前、あめちゃんの場合は1日3万歩で(江戸時代と同じです)、自己肯定感も上がるのでほんとおススメですよ♪
