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明治大学文学部教授 斎藤孝先生が『書く』ことへの意味やメリットをたっぷりお話してくださっているご本です。冒頭で、
『つまり、「書くことで自分の考えがはっきりする」というのが、文章を書くことの最大のリターンではないかと思うのです。』(p17より引用)
と、答えは書いて下さっているのですが『書く』習慣のない人にとっては、何も書くネタはないとか、めんどくさいとかあることでしょう。書くことで自分を知れるとはいっても、どうでもいいと思われるかもしれませんが、人様と関りをもつ、話す、ということは日常から切り離せないでしょう?「自分の言ってることがうまく伝わらないな」など困る場面はこれまでなかったでしょうか?そうです。話したり、認識力を磨いたり、語彙力を身につけたりするには『書く』という行為が最適なのです。まんま国語ですね。相手様に、伝えたいことを伝えられるか?これは生きていく上で欠かせない工程です。
■人に、自分の想いや考えをうまく伝えられなくて、もどかしい。
■『書くこと』と『話すこと』は相関があるのでしょうか?
■人に自分の想いや考えをスムーズに伝えられて、円滑にいけたら、無用な誤解やトラブルも起きなくなってストレスフリーになってかなり気持ちが楽になるんだろうな。
……など、少しでも思い当たる方は、齋藤先生のメソッドで、気楽に むしろ楽しく、書く力を養い、自分の思っていることを人に伝えやすくなりますよ。
●まず、こちらはベースとなるお話です。
『文章を書くということが常態化してくると、次第に、書くときに使っている言葉が話しているときにも口をついて出るようになるのです。』(P25より引用)
『つまり、「書く」ことを通じて語彙力が磨かれると、書き言葉と話し言葉の距離が近くなっていき、「話すように書く」ことが、徐々に「書くように話す」こととイコールになっていくのです。』(P25より引用)
このブログ1回目の茂木健一郎先生のご本で、ネタがなくてもとにかく「書く」が先であることは説明してくださっていましたが、アウトプット前提で、紙とペンを持つのです。齋藤先生は、
『素朴な「?」を見つけることができたら、もう「!」は獲得できたも同然です。問いの答えを探せばいいだけ、つまり調べればいいだけだからです。』(P52より引用)
齋藤先生は、文章を書くための材料をまずは『列挙してみる』こともおススメされています。自分の中の考えとか思いつくままに書き出すことです。材料がそれだけ出れば気づきも必ずあります。例えば、ご本を1冊読んで「おもしろかった。おしまい」では小学生の作文です。「おもしろかった。おしまい」で、片付けてしまっては非常にもったいない。
『もし文章が稚拙だと感じられてしまうとすれば、その原因の一つは「語彙力の少なさ」にあるといえるでしょう。』(P138より引用)
語彙力、引き出し、言い回しをたくさん持っていると、人様に、思っていることを伝えやすくなって、自分も相手もストレスが減りますよ。
■あめ的回答■
『つまり、「書く力をつける」ことと「認識力を高める」ことは鶏が先か卵が先かといった話です。双方が相乗効果を生む関係にあるといいでしょう。』(P165より引用)
認識力を支えるもの=読む力なのですが、読み書きともに両輪となりますね。あめちゃんは、こうやって、読んで、ブログに書いてということをしていますが、みなさまに読んでいただき、
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