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●いま、やるべきことを一つ一つやっていく。これが答えだと言っていいぐらいです。それが、自分の生き様です。
『人の振る舞いには、よくも、悪くも「一貫性」があるものです。
朝食の仕込みは適当にやって、仕事は心を込めてやる、ということはできないのです。』(p209より引用)
それはありますよね…。普段だらしがないのに、外でキリッと見せようとしても、その人の本質的なところはバレてしまう気がします。
このご本はタイトル通り、もちろん、朝の時間を大切に使おうというポイントはおさえていますが、要は その人の生き様がちゃんと滲み出ていますよということです。
「趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)」というお話があります。
『ある僧が趙州禅師に、修行する上でなにが大切かを問います。そのときのやり取りは以下のようなものでした。
「ところでおまえさん、朝ご飯は食べたかな?」
「はい、いただきました」
「それなら、鉢を洗っておきなさい」
これで修行僧はハッと目を開かれたというのですが、禅問答は‟難解”なのが当たり前。なんのことかわからないという印象を持った人が多いかもしれません。
ご飯をいただいたら、まず、やるべきことは使った鉢を洗うことです。
そうであるなら、それをすればいい。修行の眼目はなにも難しいことではなく、ただ、そのときにやるべきことをやっていくことにあるのだ、ということを公案は語っているのです。』(p46より引用)
これは脳科学的にも言われていることですが、ろくに部屋も片付けない、散らかっている、洗い物を残しっぱなしなどは、自分が気にしないフリをしていても頭の片隅で引っかかっているままだそうです。とにかく早くやってしまうことです。頭の中で無意識でも引っかかっていることによって他の仕事へのパフォーマンスは落ちます。「だって、時間が無いし…」という言い訳、それ自体が内面の醜さを現わしてしまっています。
●禅の修行道場では「制中(せいちゅう)」という期間の定めがあるそうです。その期間は100日間。
『制中はお釈迦様の時代からあったものだとされていますが、一〇〇日という期間設定はなんとも絶妙というしかありません。一〇〇日続けることで、どんなことも身につき、やがては「習慣」になるのです。
もちろん、「一〇〇日も続けるのか?」と考えたら、みなさんは嫌になるでしょうし、めげもするでしょう。
ですから、まずは一歩を踏み出すのです。』(p165より引用)
とにかく一歩を踏み出すのみですね。ワープとかズルっこはできないです。このご本は習慣化の大切さを教えて下さっている一冊です。イヤな家事とかは、腰が重くなるものです。しかし、習慣化までいけたらしめたもの。やらないと気持ち悪いとなりますから、やってしまえる自分になります。
■■■あめ的回答■■■
習慣って、ほんとその人の生き方そのものです。時間がないならせめて毎朝30分早起きして、30分の時間を確保しましょう。時間が儲かります。朝早起きは、むしろ損をするんじゃないか?5分でも寝ていたい、と思いがちです。損じゃないですよ。あめちゃんは、最近は朝4時10分起床です。休日は昼まで寝ているなんてやっていたら、その日の体調狂いまくりになりますよ。そもそもなんですが、今よりうんと若い頃でも、やっぱ昼まで寝ているとかしてたら体調はおかしかったです…。(食べ物も、出来合いの弁当や菓子パンとかだったので、生活狂っていたなと思います)
このご本は決して説教本ではありません。悩みや不安で夜が眠れないということもあるでしょう。
『どうにもできないことなら「放っておく」。それが禅の考え方です。』(p218より引用)
あなたの手にあまることは、手放して大丈夫。あなたが他人のことを背負おうなんて考えなくても大丈夫。
あなたが、いま、やるべきことを一つ一つやっていく