『大阿闍梨 酒井雄哉の遺言 師弟珍問答』 玄秀盛
『大阿闍梨 酒井雄哉の遺言 師弟珍問答』 玄秀盛

『大阿闍梨 酒井雄哉の遺言 師弟珍問答』 玄秀盛

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

大阿闍梨 酒井雄哉の遺言 師弟珍問答 [ 玄秀盛 ]
価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/6/12時点)

楽天で購入

 

 

大阿闍梨酒井雄哉(さかいゆうさい)さんと、得度されたお弟子さんの玄秀盛(げんひでもり)さんのこれまでの珍問答を紹介してくださっているご本です。どなたでも思い当たるところがあるんじゃないかというお話を取り上げさせていただきます。こちらは阿闍梨さんのお言葉です。

『ええか、子どもに話すのと、大人に話すのは、言い方が変わるやろ?言葉はな、人それぞれに必要なものがあるんや。
それを、誰かから聞いたええ言葉やからとそのまま言うても、その人は消化でけへん。その人のためにならんかったことは毒でしかないってことや。』(p94より引用)

玄さんは『言葉は、言葉そのものが大事なんと違う。行いに結びつかない言葉は単なる垂れ流し。』(p95より引用)と仰っています。今のその人に合っている言葉でないと当然刺さりませんよね。相手に合った言葉を添えてあげるのは相当陰徳ポイント高いですよ。

お金の使い方について。やっぱり、稼ぐときよりも使う時に綺麗か汚いかが出てしまうということです。使い方、「出口戦略」のお話はこのブログ内で何度も出てきました。以下、阿闍梨さんです。

『なんで見栄を張るか。それは、 自分がないからや。人に見せつけているだけや。
言うてみれば、ギラギラした刀を抜いたままにしてる状態や。お前はそれでええ気持ちなんやろうけれど、周りはそうは思うてへん。』(p108より引用)

そのままの自分ではダメだと思うから見栄を張るんでしょうか?「すごい!」と言われたくてでしょうか?

あめちゃんは見栄を張るという人って、なんか命から拒否感出てなのか、生理的に受け付けません。(ギラギラオーラが出ているのでしょうかね)「すごい!」なんて思えなくて「怖っ、関わらないでおこう」ぐらいの感じです。

阿闍梨さんの名言で「一日一生」という言葉があります。過去でも未来でもなく、「今」を生きることの指標になると思います。全文は本書を手に取ってお読みくださいということで一部ご紹介です。

『人は毎日、生まれ変わっとる。朝起きて、夜は寝るやろ?生きてるのはその間だけや。
だから、良きにつけ、悪しきにつけ、すべて今日で終わりや。どんなことでも明日に持ち越す必要はない。
明日という日はないかもわからん。だから、今日が始まったときに、今日ですべてが終わる気持ちで日々生きろ。~(中略)~
人間は、過去も未来も生きていない。生きているのは『今』だけ。その『今』をおろそかにすることほど人生を無駄にするものはない。~(中略)~
いちばん変わるのは、今日のことは今日のこととして受け入れられるようになる。『これは嫌だ、あれは嫌だ』と選り好みする姿勢が『これも今の出来事なんや』と思えるように変わると、好きも嫌いもどうでもええ、という心境になる』(p123~125より引用)

毎朝、「よし!私は今日生まれた!」と言うといいそうです。「今」を生きるのは勇気がいります。だから、思考が過去や未来に飛びまくります。「今」からつい逃げてしまいますよね。わかります。

要は、「一日一生」を生きようとする心とは、「囚われない心」「執着しない心」なんやな。(p126より引用)

■■■あめ的回答■■■

ヘタレておりましたあめちゃんも勇気をいただけた一冊です。答えは1つだ、こうだ!と決めつけなくていいし、「あれもある、これもある」その時々でふさわしい答えがあります。ピンクが好きだと思っていたらイエローも好きになった。やんちゃをしていたけれどオトナになった。自分も周りもいくらでも変わります。「変わっちゃいけない」と念じなくても大丈夫。過去に言った通りにしなくても大丈夫。過去に言ってしまったあなたとはもう違います。

最期に阿闍梨さんのお言葉で締めくくります。

『生まれてきてよかったかどうかを悩むよりも、生まれてきたことに手を合わせられる人間になったかどうかのほうが大事やで』(p200より引用)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村