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●多様性…なかなか全員が納得する答えが出ないテーマです。しかし、落としどころはあります。
『他人を愛することも優しくすることも、その人がそうしたいからするのであって、そうしなければならない義務があるわけではないということだ。
他人を愛したくないとか、優しくしたくないという権利だってあるのだから、道徳や倫理のために、嫌々ながら人を愛したり、人に優しくする必要はないというだけの話である。』(p91より引用)
自分が親切にしたから自分もしてもらって当然ではないのです。年賀状をもらったら返すのも当然ではないのです。(あめちゃんは年賀状は負担でしかなかったので数年前に年賀状じまいしました)「要らないから察してね」も、ムチャな話なので、まだ送ってこようとした人にはお断りしました💦
「察してね」ってムチャなんですよね。その例で、「産休クッキー問題」が載っています。当時荒れていましたね。
『そもそもの話、その女性にクッキーをもらったわけでもない第三者があれこれ難癖をつけること自体意味不明だけど、女性がどんなクッキーを配ろうと、幸せアピールをしようとそれはその女性の勝手だし、仮にクッキーをもらった当事者が実は人知れず不妊治療中だったとしても、女性の行為を「配慮がない」などと怒る権利はもともとない。それを公言していないのであれば、察しろというほうが無茶である。
もちろん、だからといって黙って受け取れという話ではなく、受け取る側にもそれを拒絶する権利は当然ある。そんなことをすれば角が立つではないかと反論する人がいるかもしれないが、「角を立たせたくない」というのだって、その人の勝手な欲望ではないか。』(p120より引用)
『それぞれ立場も価値観も違うのだから、全方位的に配慮するなんてどう考えたって不可能だ。』(p121より引用)
前に斎藤一人さんが「角なんて立てまくりだよ」という表現をされていたことがありました。あめちゃんは「お断り」だと言えないタイプでしたが、お相手さんを立てまくっていたらノイローゼみたいになって、ストレスのあまり帯状疱疹にもなったことがありました。今、50歳にもなって、残りの人生考えたら時間も少ないわけだし、NO!なものはNO!と言っていかないと…とは痛感しています。
『「多様性を尊重する」とは、自分以外の多様な人たちを理解することだなどと言われたりするが、もちろん理解すればいいのだけれど、だからといって無理に理解などしなくても、それはそれで構わないのではないかと私は思っている。私自身、レズビアンにもゲイにもバイセクシャルにもトランスジェンダーにもなんの興味もないし、勝手にやっておくれという立場である。』(p113より引用)
池田先生は、ゴルフも野球も興味がないから、好きな人がやっていればいいと公言しても「多様性を尊重していない!」と言われないのはなぜなのか?と。例えで言うなら、あめちゃんもゴルフにまったく興味は無く、「理解を深めるためにゴルフのことも学んでよ」と言われてもできません。ご自身がやればいいだけのことで、他人に理解を要求することじゃないの。むしろ「やめろ!」と言われないだけ御の字じゃないですか?好きにさせてもらってありがたいですよ。
●平等を目指すことはできても、池田先生は「人々は平等だ」は一種のフィクションだと仰っています。
『しかし、能力差などを考えれば人間は実は不平等であると考えるほうが事実に近い。』(p75より引用)
幼稚園児や小学生でも、4月2日生まれと4月1日生まれでは1年の差がすでにあります。諸条件がそもそも違う。
■■■あめ的回答■■■
みんな違うのに「同じ」でくくることは乱暴じゃないかと思ってしまいます。冒頭で言いました落としどころは、「それぞれが好きにすればいいけれど、他人に理解を強要しないでね。理解してくれないからと悪者にしないでね」ということです。もちろん、こちらも相手さんの事情にくちばしをはさみなさんなということでもあります。他人さんたったひとりでも理解して、気も時間も遣っていくエネルギーは大変ですよ。とても自分では手におえませんよ。「自分で好きにしてね」これで十分肯定ではないですか。
