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●小説家で医師の久坂部羊先生のご本です。高齢者医療に携わっていらっしゃったので、デイケアでのエピソードが多数ご紹介されています。あめちゃんは超壮絶ヤングケアラーで両親ともに40代で亡くなっていますので、もう両親の介護は早々に30年前に卒業しました。あめちゃんは今年50歳なので、同世代の人たちは親の介護が今始まっている人もいるでしょう。もし、なまじ長生きしてしまったらどうなるのだろうか?という疑問が残りました。老人ホームは合法的な現代の姥捨て山だとは言います。江戸時代などは、お年寄りを自宅の畳の上でみとるのが当たり前でした。現代は、とにかくオムツを何重も重ねてはかせて寝たきりでも、部屋から出さずとも、とにかく延命して、やれ100歳まで生きてすばらしいとか、とにかく「死なせないこと」がデフォルトです。本来なら、そこで自然に亡くなっているはずの人を、どんな手を使ってでもとにかく生かす。みなさんはどう考えますか?
●あるテレビ番組のドキュメンタリーの話です。5年間行方不明の認知症高齢者が、番組を通じて、施設で保護されていることがわかり、感動の再会をした!という放送内容だったそうです。
『だれが見てもよかったと思うでしょう。しかし、現場を知る私としては、簡単には喜べません。再会はたしかに感動的ですが、そのあとがあるからです。
まず気になるのは、五年間にかかった施設の費用です。』(p72より引用)
『テレビはそこまでは追って放映しませんから、視聴者は「よかったな」で終わりですが、当事者の現実は決して終わらないのです。』(p73より引用)
「さぁ、帰りましょ。めでたしめでたし」とはいかないのです。清算お願いします。ただの生活費じゃないから、2千万円クラスにはなるのでしょうか…。これは本当に「よかった」なのでしょうか…。
●長寿はすばらしいという長生き信仰のために心で泣いている高齢者の方は多いのかもしれません。
『近代までは口から食べられなくなれば、穏やかに最期を迎えていましたが、今は多くの家族が無理にでも食べさせようとします。日本では家族愛と捉えられていますが、欧米では虐待と見なされます。』(p178より引用)
そもそも老人は食が細いのに、フォアグラじゃないんだから。虐待ですよ。
延命は、お下の世話や、歯磨きも手伝う、寝ている間も向きを変えてあげたり…フル介護。手間も時間もお金のこともあります。限界で介護している人が虐待をしかねません。当たりも強くなるでしょう。
『そんな人生の最後の最後に、不自然な医療行為をして、未練と執着と愛情で苦しむ必要があるのでしょうか。それなら元気なうちに悔いのないよう十分なことをしておけと言いたいです。』(p178より引用)
人はいつか必ず死ぬとみんなわかっていても、まさか明日死ぬとは思っていません。老後お金がいくら必要だとかより前に、健康な体を未来の自分に残してあげる方がよっぽど大事で、今すぐできることです。未来にボロボロな身体を託したくないでしょう。今、取り組めることありますから。
■■■あめ的回答■■■
今は、「命は尊い」とか「命が何よりも大事」という時代です。久坂部先生が子どもの頃、「武士はなぜ切腹できたのか?」と不思議に思っていたそうです。武士は命よりも名誉や忠義や尊厳を守る方が大事だったのです。それで当時の家(家系)は守られました。(※因みに武士道のお話は執行さんのご本がおすすめです)
『私も今、命より大事なものがあると思っています。それは苦しまずにいることです。救いようのない苦しみに苛まれたら、私は命を捨ててでも楽になりたいです。
いや、それでも命より大事なものはないと言う人は、たぶん今、苦しんでいない人でしょう。』(p220より引用)
素人の老老介護などはもちろん、プロの介護士でも、やむを得ず入居者さんの尊厳を失わせてでも死なせるわけにはいかない訳ですが。あめちゃん、自分の母の介護で身内全員が地獄を見たので、看取った時には「みんな救われた」とホッとしました。本人も周りも地獄ですから「命は大事。尊いものよ」なんて言う人は地獄の現場を見ていない。(※身内、誰ひとりとして母に手をあげる人がいなかったのは本当に幸いでした。)全く治る見込みのない人に、医療や人の手やお金をしっかりかけるなんて無茶ですから。トリアージしないと。「なんて酷いことを」と言うのなら、あなたが全責任を負えばいいって言いますよ。
