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●天台宗大阿闍梨 酒井雄哉さんのご本です。なるほどなぁというエッセンスがところどころに入っています。
『いくら勉強する環境がお膳立てされていても、自分で勉強しようと思わなければ、能力はなかなか伸びない。』(p53より引用)
なるほど確かに。いかに立派な机や参考書を与えても、与えられた側が「興味がないです。やりません」という態度ならこちら側はどうしようもないです。自分が好きで得意なことであれば率先してやってしまうものですよね。そして、得意で好きなことで、社会へ還元していくのがお互いに嬉しいですよね。嫌いで苦手なことで活躍はムリだから。自分が苦手で嫌いなことは得意で好きな人におまかせして感謝している方がいいです。それでお互いさまですね。
●困った人を助ける…福祉的なことは大事です。微力ながら力にならせていただきたいと、あめちゃんは10年以上日本盲導犬協会の賛助会員になっています。(もちろん支援は盲導犬協会でなくてもいいんですよ)
『無駄遣いしたらなんにもならないけど、無駄遣いしたつもりで貯金箱へみんなが募金をしていけば、一つでも二つでも良いことにお金を使うことができる。』(p78より引用)
もちろん助けたい「困った人」も背景や性質によりますよ。DVで殺されそうになっても「私がなんとか助けるわ!」なんて言ってちゃダメです。関わってはいけない人からはダッシュで逃げてください!
無駄遣いするぐらいなら募金はしたらいいと思います。ゴミ屋敷の知人の家の中を見て「これらを買わなければ一体何万円、何十万円(何百万?)が手元に残っていたんだろう…」なんて内心思いました。買ったことも覚えていないガラクタを大切にできるはずもありません。ガラクタにも家賃はかかっているのです。いっそ無いほうがいい。ガラクタがなければ人間のための空間は残る。足るを知っていればゴミ屋敷にはならないのです。大切なお金をガラクタに交換するぐらいなら寄付に回した方がいいです。
●人間は歩くことが本質でもあります。人間は歩くようにできています。
『今の人たちは歩く機会が少なくなったんじゃなくて、自分で少なくしちゃっているんだよね。』(p213より引用)
1駅分でもいいから毎日歩きましょう。自分でやってみましょう。歩くことで新しい発見もあります。
『そうすると、歩くということは、行動を起こす出発点ということになるんだな。今の人たちは、歩くことを忘れちゃってるから、自分のいる地域のことはわかるけど、いろんなとこでどんなものがあるというのは知らないんだよね。歩かなくなることによって、いろんな情報を得られなくなって、行動力が落ちてきちゃってるんだよね。』(p215より引用)
歩くことで頭も整理されます。「歩いてる時間がムダ」なんかじゃないですよ。
●感謝が大事、むしろ感謝こそすべてだとい言います。自分だけの力ではありません。
『陰でいろいろやってくれる人がいるから、うまく成り立ってるという原点を忘れちゃう。~(中略)~だから失敗する人というのは、自分に対してものすごく親切にしてくれたいい人を、みんな蹴散らしていっちゃうんだよな。』(p226より引用)
いや、むしろ自分だけの力なんてたいしたものじゃないんです。この画面を移すモバイルだって自分以外の大勢の方たちが作ってくださったものです。自分一人では、液晶画面、コード、マウス…なに一つ作れません。
日本では飲めるレベルの水が家に通っているのもすごいことです。最近、飲めるレベルの水がすぐに手に入るありがたさをかみしめているあめちゃんです。家中ゴミ屋敷にするほど物を溜め込んで、あなたが本当に欲しい物っていったい何なの?と、心の中で問いかけてしまいます。物品はもういいから腕だよ!売るのも腕でいい。物品はもうたくさんです…(と、元汚部屋出身者としては思ってしまいます)。
■■■あめ的回答■■■
このご本の中で『東下り』(ざっくり言うと、京都御所から上野の寛永寺までの巡礼)のことが少し載っていたので、この記事に載せようと、寛永寺まで行ってお写真を撮ってきました。天台宗最澄さんについても、ひろさちやさんのシリーズで歴史に触れていきますね。背景を識ると、リーディングもどんどん面白くなります。酒井さんは「千日回峰行」を2度満行されています。このご老人をそこまで突き動かしたものは何だろう?歩く荒行をこなされたこともリスペクトです。あめちゃん自身が人間は歩くことが本質としてみているので、歩くことはバカにできません。歩くヒマなんてないと言い訳していたら、歩けなくなる現証がきちんと補充される気がします。毎晩、身体に感謝してストレッチする習慣までたどりついたこともありがたいです。