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一般社団法人 思考の学校校長宮増侑嬉さんのご本です。「なぜこんな嫌な奴ばかり寄ってくるの?」「なぜ自分ばかり病気のオンパレードなの?」…。まずは、
それらの人や出来事はすべてが自分自身の思考である
ことから始まります。「いやいや、あの人いらないから」「こんな病気いらないから」では済みません。
●例えば、あなたが「自分はあの人よりはマシだわ」と比較して思うことはありますか?
『人を見下すことがクセになっていると、結局、人に見下されることが世の中から受ける自分の扱いにもなってしまいます。』(p132より引用)
他人に「裏切られた」ということが起きるとしたら、自分が過去に誰かを裏切ったことがあったから。お相手さんに『先に誠意を見せなさいよ』とか『私を信じさせてくれたら私も信じてあげるよ』というのでは、宮増さんは「これではまるで後出しじゃんけんです」と仰っています。
そういう取引を相手に要求すると、自分も相手から取引をされる側にそのうちなります。自分の投げかけたものしか返ってこないというか投げかけたものは必ず返ってくる。
『貧乏はイヤだ!』とお金への執着がすごいと、お金さんは怖がって逃げていきます。人は大切にしたものからしか、大切にされません。
●他人の評価を気にしすぎたことはありますか?褒められて喜んで、批判されてガクンと落ち込む毎日がジェットコースターの体験。なぜ人の評価でこんな気分にさせられてしまうのか?
『そうです。自分自身が今までまわりの人を散々ジャッジしてきたからです。』(p98より引用)
誰かに批判や否定をされたときはこう思ってみてください。
『私だって、考え方を否定してきた人がいるよね。いろいろな価値観の人がいるのだから、まわりの人全員が私のことを100%認めて、受け入れて、愛してくれることを求める必要はないよね』(p98より引用)
自分が過去に他の人にやっているんですよ。これは伊木ヒロシさんのお話であったのですが、親切をしたら、した相手からは直接返ってこない。他の人から返ってくるんだ、ということです。本人から返ってきたらわかりやすいのですが、タイムラグで巡り巡るようです。
●「うわ~、自分、過去にひとにやったこと心当たりあるわ~💦」という方、全然大丈夫です!宮増さんのQ&Aコーナーで載っていたサクラさん(仮)という相談者さんへの回答が大きなヒントになりました。
職場でイラッとする同僚に対してサクラさんは「私自身が過去に誰かを見下すようなことをしてきたんだろう」ととらえたら、その同僚は職場を辞めたというエピソードです。(※くれぐれも「嫌な奴を辞めさせるためにこうとらえよう」という思考の使い方はNGですよ。どんどん嫌な奴が掛け算で現れますヨ!)
宮増さんは、
『「見下しのクセは良くない」と気づけたわけですから、次は「まわりの人の素晴らしいところを見ていこう」と決めれば、これからはサクラさんを応援してくれたり、サクラさんの良さをもっと活かしてくれたりする人が、まわりに当たり前のように現れてくると思います。』(P194より引用)
■■■あめ的回答■■■
「自分に起こることの全責任は自分にある」というのは斎藤一人さんのお話であります。これは自分を責めろという意味ではありません。恋人にフラれたから次はもっと良い人に出会えたとか、病気のおかげで生活に気をつけようと思えたとか、どんな嫌なことも自分へのギフトに変わります。
前に、生活保護の元知人が「病気が治ったら生保止まっちゃうじゃん」と言っていました。(もちろん、そこで、「病気を治してきちんと働こ!」なんて正論は全く意味がありませんし、私が他人さんへ、そのような「ジャッジ」をしてもいい道理はありません)「病気のおかげさま」もあるのです。
本質は他人をジャッジすることではありません。そういう人と出会うことも、自分の思考から出ているのです。
ひとのセイというものは、そもそも無いんだな…と思えた方が、私は気が楽です。「楽はいけない!」とあめちゃんのことをジャッジしてもらってもいいですよ。楽はいけない現証が、ジャッジしたひと本人に、これでもかとゲンコツの雨が降るだけです。他人のセイにするのは大変ですよ。長年のすりこみがあるから、すぐには全部書き換えられない、そうは思えないかもしれませんが、思考のクセを変えていくのに、このご本は伴走者として頼もしい一冊です。