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●人(自分)は、とんでもない考え違いをする場合が往々にしてあります。
『なぜ考え違いをするのか。
それは「自分は正しいのだから、自分が思っているようにならなければいけない」と考えているからです。先にふれたように、それはあなたの‟信念”であり、自我そのものです。』(p27より引用)
快適である‟自我が維持された状態”を維持するために考え違いをしていても、人はなかなか気づけないそうです。
いつも明るく周りから愛されていた人が、突然、事故で亡くなることもあります。それは「これまで普通に生きてきたのに、こんな不幸な目に遭うのはおかしい」とはなりません。
『過去に自分が正しく生きてきたか悪事を働いてきたかは、まったく無関係なのです。』(p27より引用)
『つまるところ、「正しく生きてきた私がそんな目に遭うわけがない」、その信念が、あなたが自らの力で立ち上がる邪魔をしています。』(p28より引用)
『「大変だったけど、いい体験をした」とプラスに評価できるようになれば、自我は大きく円満なものになり、それはあなたに前向きで囚われない思考をもたらします。』(p30より引用)
とはいえ、どうすればいいの?ということを本書では苫米地先生が教えて下さっています。このご本はぜひとも2回、3回と繰り返し読みして理解を深めるのがおススメです。
●このご本では、前頭前野のパターンを変えましょうということが再三出てきます。何か自分に不都合な悪いことが起こっても、それが他人のミスであっても、「あ、自分のせいかもしれない」と自分に向けてみます。
『「あ、自分のせいかもしれない」で始まる内省は、自らを客観的に見て、評価することです。そのときに考えたことは、すべて、前頭前野による評価になるわけです。』(p116より引用)
『面白いもので、イヤな体験を評価し、前頭前野を働かせることをくり返していると、「許せない!」「嫌だ!」という情動がものの見事に鎮まっていきます。』(p117より引用)
自分にも到らない所があったなぁと思うと、相手を責めたてずに済みます。相手が責められて当然じゃん!ではなく、そのために何日、いや場合によっては何年その相手に自分の貴重なリソースを使っているのでしょうか?
相手よりも、そっちの方がよっぽど自分に不利益です。トラウマにも長期戦にもさせない苫米地メソッドの例は本書に載っています。
●前頭前野を働かせて扁桃体を弱めるのです。
『当たり前のことですが、「こう記憶しなければならない」という法律や規則はありません。それぞれ自分に都合のいいように脳に仕舞い込めばいいことです。
脳は自分の身体の一部ですから、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害なものにすることは、比較的たやすいはずです。これまでお話してきたように、自分で受け止め方を変えればいいだけのことです。』(p235より引用)
昔、ある若い国会議員が、母校の高校で「自分は昔、不良だったんだけれど今は国会議員になった」と話したそうです。国会議員になったことで、昔不良だったことはいいことだったと思うようになった、抽象度を上げたわかりやすい例です。
『言い換えれば、「現状がこうだ」ということを、いまいいか悪いか決めることはできないということです。
これが、抽象度の高い思考による、ものの見方なのです。』(p239より引用)
実は、今わからないけれど、それは未来にはわかるのです。「そういうことだったのか…」と点と点がつながっていく。今はわからなくて大丈夫です。「因果はつねに未来にあります。」(p266より引用)
■■■あめ的回答■■■
今、わからなくて不安…ということは日常で起こります。あめちゃんは未来に因果を観るのが楽しみです。歴史もそうですね。過去の出来事が良かったとか悪かったとか(この善悪表現はあまり好ましく思わないのですが)、それは未来の人が考えだすことになります。「そのときにはわからなかった」ことばかりです。
今回は前頭前野が主役でした。自分に都合のいいように脳に仕舞い込む!いいですね。