『身勝手な世界に生きるまじめすぎる人たち』イルセ・サン
『身勝手な世界に生きるまじめすぎる人たち』イルセ・サン

『身勝手な世界に生きるまじめすぎる人たち』イルセ・サン

 

心理療法士イルセ・サン先生の「過剰な罪悪感への対処法」のご本です。他人のよろしくない行動で、自分が責任を感じるとか、他人の責任を自分が背負ってあげるとか……「しょうがないから」とか「もめたくないから」とか色々思うところあって、つい他人の問題を背負ってしまって本当に苦しい……断ることもできない…という人はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

「私は犠牲者で傷ついている…」という人には、若干きつく感じるかもしれないのですが、「私はかわいそうな犠牲者なの」というのを、かなり早く卒業して穏やかな日常を取り戻すには、とても良い手段が載っています。帯に書かれているのですが「他人にはやさしくできるのに、どうして自分にはやさしくできないんだろう。」と。あめちゃんも昔は、「こうしなきゃいけない」「〇〇であるべき」とか、マイルールガチガチ人間すぎて、自分で自分の首をしめていたので。↓こちらのような方はぜひ。

人が自分をどう思うとか、悪く思われないかとか、すごく気にする。

もめごとになるぐらいなら自分がひとりで我慢してこらえます。

自分が悪いんだ……と思っていつも自己批判をしてしまうけれど、それをやったからといって、なんにも気持ちよく解決したことなんてない。

……と、挙げてみました。もはやこの時点で「気づき」の答えが出ているような気もしますが、詳しくいってみましょう。

イルセ先生が、マイルール、人生のルールをなおしていきましょうとご提案して下さっています。

『たとえば罪悪感で苦しみたくないあまり、自分のキャパシティーを超えてがんばってしまってはいませんか?すると、あなたに対する周りの期待がどんどんエスカレートしていき、結果としてあなたの時間とエネルギーは減っていくのです。』(p98より引用)

『しかしながら、責任の所在を誤って認識してしまっているのです。キャスパーには、彼の父親が家族や友人に誇らしく語れる生き方をする責任はありません。誇りに思えるような人生を生きる責任があるのは彼の父親です。そしてキャスパーには、自分の進む道を信じる責任があります。』(p101より引用)

これらは完全に軸を他人に渡してしまった例です。他人の土俵に上がらなくていいんです。断ってください。

『いたたまれなくなったとしても、決断が揺るがなかったことで、あなたは自分自身がいかに成長し、成熟したかに気づくでしょう。

問題なのは、罪悪感を覚えることではなくて、罪悪感を避けるためにしてきたすべての行動だとわかるでしょう。』(p106より引用)

もめたくないから自分が我慢してきた、言うことをきいてきた、など実は解決にならないどころか悪化する……と、思い当たるところはないでしょうか。

『相手が大人である場合、唯一責任を負えるのは、その人だけです。責任を負うためにあなたが相手に尽くす必要はないのです。』(p233より引用)

■あめ的回答■

つい先日、書評を書かせていただいた玉置妙憂さんが『自分のケツは自分で持つものです』と仰っていましたが、イルセ先生のご本でも、親とか友人とか、それぞれの人が自分自身で解決すべきことを、こちらが背負って引き受けてしまうことによって、それぞれの人が、自分自身で解決する機会をも奪ってしまっていると書かれていました。

他人の土俵ですよ。離れていいんです。

あめちゃん自身にも言いたいことですが『他人に構いすぎ』『自分(私)の土俵に戻りましょう』です。他人に構って、自分をほったらかす言い訳にしなくていいんです。(めっちゃ、あめちゃん、今、自分に言っています)

他人の人生を生きないでね!

他人に構いすぎてしんどい方は、こちらのご本は具体的な処方箋になりますよ。

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